里見浩太朗
さとみ こうたろう / Kotaro Satomi
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1963年ごろ、東映の若手時代劇スター時代の里見浩太朗(出典:ウィキメディア・コモンズ、国際情報社発行物より、パブリックドメイン)
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『水戸黄門』の黄門様姿の里見浩太朗(出典:ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン)
本名 佐野邦俊(さの くにとし)
誕生日 1936年11月28日
年齢 89歳
出身地 東京都渋谷区(静岡県富士宮市育ち)
国籍 日本
学歴 静岡県立富士宮北高等学校卒業
ジャンル 映画、テレビドラマ、時代劇、舞台、歌謡曲
活動期間 1956年 -
デビューアルバム 1958年 シングル「金獅子紋道中唄」(映画『金獅子紋ゆくところ』主題歌)
家族 長男:佐野圭亮(俳優)/親戚:佐野浅夫(3代目水戸黄門役の俳優)
事務所 里見プロモーション(本人が代表)
代表作 『水戸黄門』(助さん→5代目黄門)、『長七郎江戸日記』、『大江戸捜査網』、日本テレビ年末時代劇スペシャル『忠臣蔵』『白虎隊』、大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
関連活動 歌手(代表曲「花冷え」「微笑みをすてる時」「あゝ人生に涙あり」)
あだ名 助さん、黄門様、長七郎
その他 第48回日本アカデミー賞会長功労賞(2025年)、第77回NHK放送文化賞(2026年)、座右の銘「ゆっくりと一歩」
リンク https://www.satomi-kohtaro.com/


概要[編集]

里見浩太朗(さとみ こうたろう、本名:佐野邦俊、1936年11月28日 - )とは、日本の俳優・歌手である。東映京都の時代劇スターとして映画デビューし、テレビでは『水戸黄門』の助さんを16年半務めたのち5代目黄門様に就任、『長七郎江戸日記』『大江戸捜査網』でも主演した。昭和・平成・令和の三時代を通して「時代劇の顔」であり続けている、文字どおりのレジェンドである。

詳細[編集]

歌手志望から東映ニューフェイスへ[編集]

もともとの夢は役者ではなく歌手だった。静岡県の富士宮で高校時代は音楽部に所属し、18歳で上京。築地の仲卸で働きながら歌の道を探っていたところ、たまたま受けた東映のオーディションに合格してしまう。1956年、第3期東映ニューフェイスとして入社した。現代劇と時代劇のどちらを選ぶか問われて京都撮影所を選んだ理由は、本人いわく「京都には食事付きの寮があったから」。この現実的すぎる選択が、のちの時代劇人生のすべての始まりになった。

芸名の由来と「浩太朗」への改名[編集]

芸名「里見浩太郎」は、縁起のよい『南総里見八犬伝』の「里見」、育った富士山麓にちなむ「浩」、そして時代劇らしい「太郎」を組み合わせたものとされる。デビュー前後には鏡小五郎、富士川一夫、風間太郎といった名前も検討・使用されたという話が残っている。1970年に「郎」を「朗」に変えて現在の里見浩太朗となった。ちょうどテレビ時代劇に軸足を移していく時期の改名だった。

2026年時点の近況[編集]

2026年は89歳にして精力的に活動している。3月には第77回NHK放送文化賞を受賞し、5月には名古屋・御園座の創立130周年記念コンサートで歌声を披露。6月には映画『福本清三 どこかで誰かが見ていてくれる』や劇場版『旅人検視官 道場修作』に出演し、9月にはBS朝日『無用庵隠居修行10』に伊藤一斎役で登場した。一方で9月18日には、11月15日に予定していた芸能生活70周年記念ディナーショーを体調不良のため延期すると発表。本人は「体調を崩し、大事を取って」と説明し、通院しながら療養していると報じられた。代わりに本人の依頼で市川團十郎がランチショーを務めることになった。2026年11月28日に90歳の誕生日を迎える。

経歴[編集]

東映時代劇の若手スター(1956〜1960年代)[編集]

1957年の『天狗街道』で本格デビューし、翌1958年の『金獅子紋ゆくところ』で早くも初主演。同じ年に主題歌「金獅子紋道中唄」で歌手デビューも果たし、「歌える二枚目」として売り出された。当時の東映京都は片岡千恵蔵・市川右太衛門の両御大を頂点に、中村錦之助(のちの萬屋錦之介)、大川橋蔵、東千代之介らがひしめく黄金期。里見は美空ひばりや錦之助の主演作で相手役・助演を重ね、明るく爽やかな若侍役で人気を得た。1959年の映画『水戸黄門 天下の副将軍』では、月形龍之介の黄門のもとで渥美格之進(格さん)を演じており、のちにテレビで助さん・黄門と演じる伏線がこの時点で張られていたことになる。1963年の工藤栄一監督『十三人の刺客』にも出演した。

時代劇の冬とテレビへの転身[編集]

1960年代半ば、東映は岡田茂の主導で任侠映画路線へ大きく舵を切り、時代劇の製作本数は激減した。1965年には時代劇を守るため、錦之助らとともに東映俳優組合の結成に加わったが、運動は実を結ばなかった。任侠映画『侠客列伝』(1968年)、『日本暗殺秘録』(1969年)などにも顔を出しつつ、活躍の場はテレビへ移っていく。1967年の『仮面の忍者 赤影』出演などを経て、1971年に運命の『水戸黄門』と出会う。後年、本人は岡田茂について「育てて頂いた」と感謝の言葉を残しており、恨み節ではなく糧として振り返っている。

テレビ時代劇の帝王へ(1970〜1990年代)[編集]

1970年代から1990年代初頭にかけての里見は、ほぼ常に複数の連続時代劇を掛け持ちしていた。TBSの『水戸黄門』で助さんを演じながら、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の『大江戸捜査網』(1974〜1979年)で主演、テレビ朝日の『長七郎天下ご免!』(1979〜1982年)、日本テレビの『長七郎江戸日記』(1983〜1991年)と、主役の看板を途切れさせなかった。さらに日本テレビの年末時代劇スペシャル(1985〜1993年)では全9作中6作で主演し、大晦日前後の茶の間の主役でもあった。

5代目黄門様と晩年の円熟[編集]

2002年、病気で降板した石坂浩二の後を受けて第31部から5代目水戸光圀に就任。2011年12月のレギュラー放送終了まで黄門様を務め、42年続いたシリーズの幕引き役となった。その後も2012年にフジテレビの『リーガル・ハイ』で主人公の事務所の執事・服部さんを演じて若い視聴者を驚かせ、2013年には『必殺仕事人2013』で芸歴55年余にして初の本格的な悪役に挑戦。2016年のアニメ映画『なぜ生きる -蓮如上人と吉崎炎上-』では80歳で初めて声優を務め、2020年にはNHK BSプレミアム版『十三人の刺客』で土井大炊頭を演じ、かつて出演した作品のリメイクに重鎮として帰ってきた。

『水戸黄門』と里見浩太朗[編集]

2代目助さん:16年半・457回[編集]

1971年、東野英治郎の黄門のもと、杉良太郎の後任として第3部から2代目佐々木助三郎を担当した。第4部から第8部までは主題歌「あゝ人生に涙あり」も歌い、第9部からは格さん役の大和田伸也とのデュエットになった。1982年に東野英治郎の降板が決まった際は自分も降りるつもりだったが、名物プロデューサー・逸見稔に強く慰留されて残留。結局、1987年11月の第17部収録終了まで務め、16年半・457回という長期出演になった。後任の助さんはあおい輝彦である。

5代目黄門:2002〜2011年[編集]

助さん卒業から約14年後の2002年、まさかの「助さんが黄門様になる」人事が実現した。白髪・白髭の風貌は史実の光圀像に近いとされ、立ち回りを止めるときの台詞が通例の「もういいでしょう」ではなく「もうよかろう」になるなど、里見版ならではの味付けがあった。助さんに原田龍二、格さんに合田雅吏、風車の弥七に内藤剛志らが並んだ布陣で第31部から第43部まで出演。2011年12月19日の最終回スペシャルでシリーズは一区切りを迎えた。終了決定時の会見で「ズバッと後ろから斬られた感じ」と語ったのは、今も語り草である。

2015年スペシャルと「全役制覇」[編集]

2015年6月29日にはTBS「月曜ゴールデン特別企画」で2時間スペシャルとして黄門様が一夜限りの復活を遂げた。当時78歳7か月で、歴代最年長の光圀役とされる。映画版の格さん、テレビの助さん、そして黄門様と、主要三役すべてを演じた唯一の俳優であることは、里見を語るうえで外せないトリビアである。ちなみに3代目黄門の佐野浅夫とは親戚関係にあたり、黄門様の系譜が親族内でつながっているのも珍しい。

主な出演作[編集]

長七郎江戸日記[編集]

1983年から1991年まで日本テレビ系の火曜20時枠で放送された時代劇。原作は村上元三、音楽は菊池俊輔。主人公の松平長七郎長頼は駿河大納言忠長の遺児で、三代将軍家光の甥という貴種。普段は浪人「速水長三郎」を名乗って瓦版屋に居候し、悪を前にすると身分を明かして成敗する。決め台詞「俺の名前は引導代わりだ」と、柳生新陰流の二刀流によるワンカットの殺陣、そして血振りから両刀を同時に納める納刀シーンが見どころ。共演は火野正平、下川辰平、野川由美子、丹波哲郎ら。第1シリーズのオープニング曲「微笑みかけて」も里見本人が歌っている。前身のテレビ朝日『長七郎天下ご免!』とは設定が異なり、物語上のつながりはない。2012年にはパチンコ機にもなった。

大江戸捜査網[編集]

東京12チャンネルの看板時代劇で、里見は杉良太郎の後を受け、第3シリーズの第131話から第409話まで278話にわたって主演した。役どころは隠密同心の筆頭・伝法寺隼人で、普段は新内流しの音次郎として市中に紛れる。敵に名を問われて「聞きたいか!冥土の土産に聞かせてやろう!」と返す名乗りは里見編の定番だった。「死して屍拾う者なし」の一節で知られる「隠密同心心得之條」のナレーションも、この時期の視聴者の耳に刻まれている。1979年に『長七郎天下ご免!』主演のため降板し、後任は松方弘樹。この間も『水戸黄門』の助さんを並行して演じていたのだから、まさに超人的な掛け持ちである。

日本テレビ年末時代劇スペシャル[編集]

1985年の第1作『忠臣蔵』で、50歳にして大石内蔵助役に抜擢された。本人は2026年のインタビューで最も思い出深い時代劇としてこの作品を挙げ、最近見直して「思っていたより大人の芝居をしていた」と振り返っている。翌1986年の『白虎隊』では会津藩家老・西郷頼母を演じ、その重厚な芝居は今も評価が高い。1992年の『風林火山』では山本勘助を演じた。シリーズ全9作中6作で主演を務めたのは最多記録である。

大河ドラマと近年の作品[編集]

NHK大河ドラマには1993年の『炎立つ』(安倍頼時役)を皮切りに出演。撮影の合間に、かつて助さんとして仕えた2代目黄門・西村晃に「ご隠居、江刺は初めてですか?」と声をかけたという微笑ましい話がある。2023年の『どうする家康』では若き家康を導く登譽上人を、2025年の『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では『解体新書』を世に出した書物問屋・須原屋市兵衛を演じ、88歳で横浜流星演じる蔦重に商売の筋を説いた。役について本人は「古い大きな骨董屋の主人と東大文学部の教授を合わせたような人物」とたとえている。そのほか2018年のフジテレビ版『犬神家の一族』、2019年の『小吉の女房』、2023年のテレビ東京新春時代劇『ホリデイ〜江戸の休日〜』(大久保彦左衛門役)などにも出演した。

歌手活動[編集]

「歌える時代劇スター」の系譜[編集]

歌手志望だった里見にとって、歌は役者業と並ぶもう一つの本業である。1958年のデビュー曲「金獅子紋道中唄」以降、1961年「旅は青空」、1973年「砂の枕」、1974年「微笑みをすてる時」(ともに『大江戸捜査網』関連曲)など、出演作と連動した楽曲を多く残してきた。『水戸黄門』の主題歌「あゝ人生に涙あり」は、助さん時代の里見の歌唱でお茶の間に定着した。

「花冷え」とその後[編集]

1995年の「花冷え」は日本クラウンのヒット賞を受賞し、歌手・里見浩太朗の代表曲になった。以後も「北の都の物語」(1995年)、「花氷」(1996年)、「夕顔」(1998年)、「新潟のひとよ」(2005年)、「男の駅舎」(2014年)、「母を慕いて」(2016年)、「秘話」(2018年)とコンスタントにリリース。2012年には子役の熊田胡々とのデュエットで「花と小父さん」をカバーし、66歳差デュエットとして話題になった。2023年には主演作『ホリデイ〜江戸の休日〜』の主題歌「約束 -forever-」も担当している。

2026年のステージ[編集]

2026年5月には名古屋・御園座創立130周年記念コンサートを大入りで終え、10月15日放送のBS日テレ『そのとき、歌は流れた』に初出演して「あゝ人生に涙あり」と「旅愁」を歌った。番組では18歳で歌手を目指して上京した日々から東映入りまでを語っている。なお11月の70周年ディナーショーは前述のとおり体調不良で延期となった。

人物・エピソード[編集]

生い立ちと母への思い[編集]

父は1937年、日中戦争の戦地で戦死しており、里見は父の記憶をほとんど持たない。母が古着の行商や内職で兄と里見の二人の息子を育て上げた。女手一つで育ててくれた母の存在は、里見がインタビューでたびたび触れる原点である。私生活では1966年に最初の結婚をして長男(俳優の佐野圭亮)をもうけ、1974年に離婚。1976年に再婚している。

下戸とゴルフ[編集]

意外にもお酒はまったく飲めない下戸で、梅酒一杯で具合が悪くなるほどだという。宴会では進行役や接待に回るのが常だったとされる。一方で大のゴルフ好きとして有名で、2015年ごろの報道では年間約100ラウンド、カートに乗らず歩いて回るのが体力維持の秘訣と紹介された。舞台公演の日も空き時間にコースへ出たという逸話まである。2026年1月には西岡徳馬が神田正輝・里見との3ショットを公開し、里見の黄門様に自分と神田を助さん角さんに見立ててゴルフ・会食を楽しんだ様子が話題になった。

仲間を見送る側として[編集]

2026年3月の会見では、松方弘樹、千葉真一、梅宮辰夫、山城新伍、西郷輝彦ら同世代・後輩の多くが先に旅立ったことへの寂しさを語った。病床の友を見舞いたかったが「来ないでくれ」と言われた思い出を口にして声を詰まらせる場面もあった。今は西岡徳馬、神田正輝、柴田恭兵ら年下の俳優との付き合いが楽しみだという。東映京都撮影所のメイク室では入口左側の鏡の前が65年来の「指定席」で、近くの席には北大路欣也や高橋英樹らが座るそうだ。

時代劇への提言[編集]

近年のテレビ時代劇が再放送中心になっていることを残念がり、「これまでと違う新しい時代劇を作れるはず」と前向きな姿勢を崩さない。時代劇が作られにくい理由については、エキストラ一人ひとりにまで衣装とかつらが必要になるコストの問題を挙げ、精神論ではなく現場の実感から語るのが里見流である。

評価・受賞[編集]

時代劇界の功労者として[編集]

2025年3月、第48回日本アカデミー賞で会長功労賞を受賞した。同じ授賞式に登壇した柴田恭兵が「自分より先輩は里見浩太朗さんと草笛光子さんだけ」と笑いを誘ったのは、里見の芸歴の長さを物語るエピソードでもある。2026年には第77回NHK放送文化賞を受賞し、テレビ時代劇への長年の貢献が公的にも評価された。

視聴者からの支持[編集]

ネット上の「歴代水戸黄門」人気投票でも、初代の東野英治郎、2代目の西村晃らとともに上位に名前が挙がっている。とはいえ視聴者の記憶では「黄門様」と「助さん」の両方の顔があり、世代によってどちらを思い浮かべるかが分かれるのが面白いところである。1995年の「花冷え」のヒット賞受賞や、89歳で歌番組やコンサートに立ち続けていることから、歌手としての評価も根強い。

炎上とバズ[編集]

  • 1965年には拳銃の密輸・所持で執行猶予付きの有罪判決を受けたと報じられている。東映時代劇が縮小していく時期と重なり、キャリア上の大きな試練だった。その後テレビ時代劇で再起し、半世紀以上第一線に立ち続けた。
  • 2012年の『リーガル・ハイ』で黄門様が執事役を飄々と演じたギャップがネットで話題になり、若い世代にも「服部さん」として認知されるきっかけになった。
  • 2026年1月の西岡徳馬のInstagram投稿(里見の黄門様に神田正輝・西岡の「助さん角さん」)は、昭和スターの元気な姿としてファンから大きな反響を集めた。

余談[編集]

  • 東映入社時に京都撮影所を選んだ決め手は「食事付きの寮」。本人がたびたびネタにしている。
  • 『長七郎江戸日記』の決め台詞「俺の名前は引導代わりだ」は、のちのアニメの台詞と似ていると話題にされることがある。
  • カリフォルニア州サンディエゴに別荘を持ち、仕事の合間に長期滞在していたことでも知られる。
  • 2006年に耳に入った虫が原因で鼓膜を傷め、翌2007年に鼓膜の再生手術を受けたと報じられている。
  • 2022年にはNHK Eテレ『ワルイコあつまれ』に黄門様の扮装で登場し、「芝居をしない黄門様を初めて見た」という感想が寄せられた。
  • 座右の銘は「ゆっくりと一歩」。自伝のタイトルにもなっている。

外部リンク[編集]

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