網走番外地
あばしりばんがいち / Abashiri Prison(A Man from Abashiri Prison)
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第1作の高倉健(左)と南原宏治。手錠でつながれた2人の脱獄劇がシリーズの原点(国際情報社刊行物より、出典:ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン)
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映画のヒットで観光地化した網走刑務所の旧建物を移築した博物館網走監獄(撮影:663highland、出典:ウィキメディア・コモンズ、CC BY 2.5)
監督 石井輝男(第1作〜第10作)/マキノ雅弘・降旗康男・佐伯清(「新網走番外地」シリーズ)
製作 東映東京撮影所(第1作企画:大賀義文)
脚本 石井輝男(第1作)
原作 伊藤一『網走番外地』(1956年、題名のみ借用)
出演 高倉健、南原宏治、丹波哲郎、嵐寛寿郎、田中邦衛、待田京介、安部徹 ほか(第1作)
撮影 山沢義一(第1作)
音楽 八木正生(第1作)
ジャンル 監獄ドラマ、脱獄アクション、任侠・流れ者アクション
撮影期間 1965年冬(第1作、北海道ロケ約1か月)
制作会社 東映
配給 東映
フォーマット 第1作:モノクロ・シネマスコープ(2.35:1)/第2作以降:カラー
劇場公開 1965年4月18日(第1作)〜1972年8月(シリーズ最終作)
配信 U-NEXT、Amazonプライム・ビデオ ほか(作品・時期により異なる)
上映時間 92分(第1作)
興行収入 シリーズ各作が1965年度・1966年度の邦画興行ベスト10入り
言語 日本語
次作 『続 網走番外地』(1965年7月)
リンク https://ja.wikipedia.org/wiki/網走番外地_(1965年の映画)



概要[編集]

網走番外地(あばしりばんがいち)とは、1965年4月に東映が公開した石井輝男監督・高倉健主演の映画、およびそこから始まった全18作の映画シリーズである。北海道の網走刑務所を舞台にした脱獄劇として、予算を削られたモノクロの「添え物」から始まりながら大ヒットし、高倉健を東映のトップスターに押し上げた。高倉自身が歌った同名の主題歌は公称200万枚を売り、長く放送できない歌としても知られている。

詳細[編集]

「添え物」から始まった大ヒット[編集]

第1作は二本立て興行のB面、つまり「おまけ」の扱いだった。メインは鶴田浩二主演の『関東流れ者』で、こちらはカラー。『網走番外地』も当初はカラーで企画されていたが、「主人公が脱獄囚でヒロインも出ない、ラブロマンスもない、これでは客が入らない」という理由で、予算カットのうえ白黒作品に格下げされた。ところがふたを開けると大当たり。二本立ての扱いは第3作までB面だったが、第4作『北海篇』からは『網走番外地』がA面に昇格している。

「番外地」とは何か[編集]

タイトルの「番外地」は、土地の登記簿で地番が付いていない土地を指す言葉。網走刑務所の本来の所在地は「網走市字三眺官有無番地」で、そこから受刑者の家族などが「娑婆と切り離された別世界」という意味をこめて「網走番外地」と呼ぶようになったと考えられている。映画のヒットでこの呼び名は全国区になり、「番外地」という言葉自体が「世間の外側」「はみ出し者の居場所」というニュアンスで使われるようになった。

元ネタはハリウッドの脱獄映画[編集]

原作は、網走刑務所で服役した経験を持つ伊藤一が1956年に発表した同名小説。ただし東映版は題名を借りただけで、中身はほぼ別物である。石井輝男は日活版の原作を「かなり甘い話」と感じて気に入らず、新東宝時代から温めていたスタンリー・クレイマー監督の米映画『手錠のまゝの脱獄』(1958年)を下敷きに、日本版「手錠のまま脱獄」といえる脚本を書いた。白人と黒人の囚人が手錠でつながれたまま逃げる元ネタを、雪の北海道でヤクザ者と凶悪犯が逃げる話に置き換えたわけである。

全18作のロングシリーズ[編集]

石井輝男が監督した「網走番外地」シリーズは1965年4月から1967年12月までの2年半で10作が公開された。その後、館主会の要望で復活した「新網走番外地」シリーズが1968年から1972年までに8作つくられ、計18作に及ぶ。第1作と第2作『続』の間にストーリー上のつながりはなく、主人公・橘真一(新シリーズでは末広勝治)が毎回、出所後に旅先で事件に巻き込まれるという形式が定番になった。

あらすじ(第1作)[編集]

冬。渡世の義理で人を斬り、懲役3年の刑を受けたヤクザ・橘真一(高倉健)は、ほかの囚人たちと手錠と腰縄でつながれ、網走駅からトラックで網走刑務所へ送られる。

雑居房に入って2年。橘は同期入所の凶悪犯・権田(南原宏治)や、殺人鬼「鬼寅」の義兄弟を名乗って牢名主として幅を利かせる依田(安部徹)と衝突し、懲罰房送りになる。独房で橘は、子どもを飢えさせないために不幸な再婚をした母と、横暴な養父のもとを飛び出してヤクザになった自分の半生を振り返り、生き方を改めようと決める。

真面目に労役に励む橘を囚人たちは「点数稼ぎ」と冷笑するが、保護司の妻木(丹波哲郎)だけは彼を見守る。故郷の妹から「母が危篤」との手紙が届き、妻木は仮釈放の手続きを約束する。そんな中、依田や権田らが脱獄計画を練り、橘は「密告すれば仁義を踏みにじるイヌだ」と脅される。計画は、雑居房の最古参の老囚・阿久田(嵐寛寿郎)が命がけで止めた。実は彼こそが本物の「八人殺しの鬼寅」だった。

翌日、森林伐採の作業へ向かうトラックから囚人たちが飛び降りて脱走する。権田と手錠でつながれていた橘は、否応なく一緒に逃げるはめになる。脱獄の報を受けた妻木は仮釈放の書類を握りつぶし、猟銃を手に2人を追う。権田は走る汽車の車輪で手錠を切ろうと思いつき、2人は線路に伏せるが、権田は車体に接触して重傷を負う。意識を失いながら母を呼ぶ権田の姿に心を動かされた橘は、馬ぞりで追いついた妻木に「権田を病院へ」と頼み込む。脱獄が橘の意思でないと悟った妻木はこれを受け入れ、馬ぞりは大雪原の地平線へと消えていく。

登場人物とキャスト(第1作)[編集]

役名 俳優 メモ
橘真一 高倉健 傷害罪で服役中のヤクザ。母思いの主人公
権田権三 南原宏治 強盗強姦殺人未遂の凶悪犯。橘と手錠でつながれる
妻木 丹波哲郎 橘を気にかける保護司。後半は猟銃を手に追跡する
阿久田寅吉(鬼寅) 嵐寛寿郎 正体は伝説の「八人殺しの鬼寅」。シリーズの名物キャラ
依田平蔵 安部徹 放火殺人犯。牢名主として雑居房を仕切る
大槻 田中邦衛 前科十三犯の囚人。シリーズの常連脇役
夏目 待田京介 雑居房の囚人
橘秀子 風見章子 橘の母

囚人役は男性ばかりで、女優の出番はほぼ橘の母と妹、妻木の妻くらい。この「女っ気のなさ」が白黒格下げの理由にされたのは前述の通りである。なお、のちの東映実録路線を支える顔ぶれが早くも並んでいることから、「『仁義なき戦い』前夜の東映の顔役がそろった作品」と評する声もある。

シリーズ一覧[編集]

石井輝男監督作(全10作)[編集]

作数 タイトル 公開 備考
1 網走番外地 1965年4月 モノクロ。シリーズ唯一の白黒作品
2 続 網走番外地 1965年7月 以降カラー。舞台は函館・青森へ。1965年度配給収入6位
3 網走番外地 望郷篇 1965年10月 1965年度4位。ファンの間でシリーズ最高傑作とされることが多い
4 網走番外地 北海篇 1965年12月 1965年度2位。『駅馬車』がベース。大原麗子出演
5 網走番外地 荒野の対決 1966年4月 1966年度9位
6 網走番外地 南国の対決 1966年8月 1966年度3位
7 網走番外地 大雪原の対決 1966年12月 1966年度1位
8 網走番外地 決斗零下30度 1967年4月
9 網走番外地 悪への挑戦 1967年8月
10 網走番外地 吹雪の斗争 1967年12月 高倉健と菅原文太の初共演作。元安藤組組長の安藤昇も出演

「新網走番外地」シリーズ(全8作)[編集]

作数 タイトル 公開 監督
11 新網走番外地 1968年12月 マキノ雅弘
12 新網走番外地 流人岬の血斗 1969年8月 降旗康男
13 新網走番外地 さいはての流れ者 1969年12月 佐伯清(ポスターは横尾忠則)
14 新網走番外地 大森林の決斗 1970年8月 降旗康男
15 新網走番外地 吹雪のはぐれ狼 1970年12月 降旗康男
16 新網走番外地 嵐呼ぶ知床岬 1971年8月 降旗康男
17 新網走番外地 吹雪の大脱走 1971年12月 降旗康男
18 新網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義 1972年8月 降旗康男

「新」シリーズ第1作は、1948年の東京・新橋を舞台に、占領軍兵士から日本人女性をかばって北海道の米軍刑務所に送られた復員兵・末広勝治が主人公。最終作『嵐呼ぶダンプ仁義』では、網走刑務所で兄弟分になった3人が出所後、北海道のダム建設現場で悪徳業者と戦う。主人公の名前が変わっても、「網走帰りの流れ者が北の大地で悪を討つ」という骨格は最後まで変わらなかった。

制作[編集]

企画の始まりは三國連太郎だった[編集]

意外なことに、この企画の原点は高倉健ではない。1962〜63年ごろ、当時東映専属だった三國連太郎が実際の網走刑務所囚人脱走計画事件を知り、『網走監獄の脱走』という企画を岡田茂・東映東京撮影所長に提出した。三國は監督に大島渚を推し、企画は一度了承されたが、前作で大コケした大島への上層部の不信感が強く実現しなかったといわれる。その後、三國主演・佐藤純彌監督の『脱獄』という企画も浮上したが、これも中止。めぐりめぐって、東京撮影所でギャング映画を当てていた石井輝男に話が回ってきた。

高倉健のギャラ闘争とハワイ逃避[編集]

キャスティングも一筋縄ではいかなかった。当時の高倉は東映との契約が切れたままで、人気歌手を主役に起用する会社の方針に不満を募らせ、1本90万円の出演料を鶴田浩二と同じ150万円に上げるよう要求していた。交渉がまとまらず、高倉はクランクイン予定日を前に妻の江利チエミとハワイへ行ってしまう。最後は大川博社長が自ら「悪いようにはしない。『網走番外地』には出てくれ」と頼み込み、ようやく撮影入りした。一方で、高倉がごねていた間、監督と幹部は「主演は丹波哲郎でいく」と話し合っていたとも、カラー撮影を迫る高倉に大川社長が「文句があるなら主役を梅宮辰夫に変えるぞ」と言い放ったとも伝えられる。

零下30度の北海道ロケ[編集]

撮影は氷点下30度にもなる冬の北海道・士別などで行われた。劇中で「網走駅」として登場するのは、近くの北浜駅とされる。北海道ロケはおよそ1か月で、当時の技術では15時ごろには撮影が終わってしまうため夜が長く、スタッフは宿で酒を飲み、踊って過ごしたという。助監督の内藤誠によれば、酒を飲まない高倉はコーヒーを飲みながらそれをニコニコ眺め、ときには催眠術をかけて遊んでいたそうだ。

撮影現場の貧しさを物語るのが、高倉自身の有名な証言だ。予算のなさに腹を立てて石井監督の部屋へ直談判に行くと、監督は布団をかぶって寝ており、割れた窓から吹き込んだ雪が布団から出た頭に白く積もっていた。高倉はそれを見て何も言えなくなり、「あの光景を見ていなければ、今はないと思う」と振り返っている。

白黒からカラーへ[編集]

第1作の成功で、スタッフは「次こそはカラーで」と意気込んだが、大川社長は再び「白黒でやれ」。困り果てた今田智憲・東京撮影所長が、本作に関わっていなかったプロデューサーの俊藤浩滋に頼み込み、俊藤が社長に直談判してようやくカラー化が認められた。第2作『続』は脚本1週間、撮影2週間という超強行スケジュールで、舞台を函館や青森に移し、女スリや殺し屋が入り乱れるにぎやかな娯楽作に仕上がっている。

主題歌「網走番外地」[編集]

健さんが歌った「放送できない歌」[編集]

主題歌「網走番外地」は高倉健自身が歌い、1965年1月にテイチクレコードから発売された。レコード売上は公称200万枚。企画者の今田智憲が最初から「健さんに歌ってもらえないかな」と言い続け、照れ屋で断るのが目に見えていた高倉を石井監督が説得したという。高倉はシリーズ全作でこの歌を歌い、「この歌なくしてヒットはなかった」とまでいわれる。

一方で、歌詞全体が犯罪を肯定し反社会的な風潮を助長しかねないとして、日本民間放送連盟の「要注意歌謡曲」制度で放送不可にあたるAランク指定を受けた。1965年版の歌詞には酒を「きす」、娘を「スケ」と呼ぶヤクザの隠語も含まれていた。1972年にはレコード各社の間で以後レコード化しない取り決めまで交わされ、制度が廃止される1980年代まで事実上「封印」されていた。

元歌は戦前の流行歌[編集]

クレジット上は「作詞:タカオ・カンベ、作曲:山田栄一」となっているが、歌詞のもとは網走刑務所の受刑者の間で歌い継がれてきた作者不詳の歌だった。石井監督はこの曲を、若者が刑務所で覚えた歌としてギターで歌うNHKのドキュメンタリー番組(1964年)で知ったとされ、高倉主演の前作『顔役』(1965年1月)で先に使っている。さらに1980年代になって、SP盤コレクターの指摘により、メロディの原曲が1931年に橋本国彦が変名で作曲した日活映画の主題歌「レビューの踊子」だと判明した。

カバーと復刻[編集]

1970年には藤圭子がリサイタルで歌い、アルバムにも収録。2018年には松山千春がアルバム『北のうたたち』でカバーしている。高倉の没後、ファンの要望を受けて2014年12月31日にオリジナル盤がCDシングルとして復刻された。

評価・影響[編集]

東映任侠路線の起爆剤[編集]

『網走番外地』シリーズは1965年度・1966年度の2年連続で各作品が邦画興行ベスト10に入り、第7作『大雪原の対決』は1966年度の1位に輝いた。同時期に東映が送り出した文芸大作が軒並み不入りに終わる中での大ヒットで、岡田茂はこの成功以降「不良性感度」という言葉を盛んに使い、刺激の強い娯楽路線を会社の方針に据えた。『日本侠客伝』『昭和残侠伝』と並び、高倉健を「東映任侠映画の顔」にした作品群である。

批評家の見方[編集]

映画評論家の山根貞男は、本作の面白さの中心を「監獄ドラマ」と「出所後の流れ者アクション」という2要素の混合にあると論じた。海外でも評価は高く、英国映画協会(BFI)の「日本のギャング映画10選」(2013年)に選ばれ、「とてつもなく楽しい」と紹介されている。2024年5月には英国のEureka(Masters of Cinema)から第1〜3作が英米向けにBlu-ray化された。

「高倉健=雪」のイメージ[編集]

雪原の脱走、トロッコでの追跡、汽車の車輪で手錠を断ち切る場面と、体を張ったアクションを演じきった高倉はスターダムに駆け上がった。のちの『八甲田山』『駅 STATION』『鉄道員(ぽっぽや)』へと続く「雪の中に立つ健さん」というイメージの出発点も、このシリーズだといわれる。石井監督は2001年の時点で、当時の高倉を「若さがあるし溌剌としている」と振り返り、「できればもう一度ギャング役を」と語っていた。

鬼寅という名キャラ[編集]

嵐寛寿郎が演じた「八人殺しの鬼寅」は、シリーズを通じて映画史に残る名キャラクターになった。嵐は撮影前に石井監督の自宅を訪ね、「私の役ね、これ当りまっせ」と予言したという。石井が監督した千葉真一主演の『直撃地獄拳 大逆転』(1974年)には、嵐演じる「鬼寅親分」がセルフパロディとして登場している。

網走監獄との関係[編集]

網走刑務所はもともと、地元にとって決してありがたい存在ではなかった。戦時中には当時の網走町が刑務所名の変更を請願し、衆議院を通過しながら貴族院で不採択になったこともある。ところが高度経済成長期、『網走番外地』シリーズの人気で網走刑務所は一躍全国区の観光名所になった。「日本で最も名前を知られた刑務所」と言われる理由として、真っ先に「健さんの映画」が挙がるほどである。

1983年には刑務所の全面改築に伴い、旧刑務所の教誨堂や獄舎を移築・復原した「博物館網走監獄」が天都山の中腹に開館し、現在も網走観光の定番スポットになっている。2005年に石井輝男が亡くなると、生前の希望で網走市の潮見墓園に墓碑が建てられ、碑文「安らかに 石井輝男」は高倉健が揮毫した。翌2006年8月には博物館網走監獄の正門前に石井の功績をたたえる石碑が除幕され、石井が所有していたシリーズの台本なども同館に寄贈されている。近年は漫画・アニメ『ゴールデンカムイ』でも網走監獄が重要な舞台になり、映画とは別ルートで「網走」の名を知った若い世代も増えている。

リメイク・関連作品[編集]

日活版『網走番外地』(1959年)[編集]

東映版より6年早い1959年、日活が同じ伊藤一の小説を松尾昭典監督で映画化している。主演は小高雄二と浅丘ルリ子。原作に忠実な脚本で、傷害罪で網走に送られたヤクザが、獄中から妻の手紙に励まされて更生するという純愛ドラマであり、脱獄アクションの東映版とはまったく趣が違う。主題歌も使われておらず、「網走番外地」の歌が映画で初めて歌われたのは東映の『顔役』である。

幻に終わった続編と『海軍横須賀刑務所』[編集]

シリーズは1973年春公開を目指した新作も準備されていた。1972年11月の記者会見では、俊藤プロデューサーが高倉の新プロダクション旗揚げ作として『網走番外地』を製作すると説明している。しかし1971年に社長に就任した岡田茂がコストのかかる高倉・鶴田路線を見直し、菅原文太、松方弘樹、渡瀬恒彦、梶芽衣子ら次世代スターを前面に出す方針を取ったため、シリーズは打ち切られた。和解後に高倉・石井コンビ復活作として『海軍横須賀刑務所』が発表されたが、深作欣二監督の『仁義なき戦い』に始まる実録路線の台頭で2人は別企画に移り、同作は勝新太郎主演で製作された。

その後のリメイク・テレビ版[編集]

2026年11月時点で、高倉健版『網走番外地』の正式なリメイク映画や、同シリーズを原作としたテレビドラマ化は確認できない。高倉健の存在感と主題歌の印象があまりに強く、「健さん以外の橘真一は想像しにくい」というファンの声も根強い。そのぶん名画座や特集上映、配信での再評価は続いている。

放送・配信[編集]

  • 動画配信:東映作品として各配信サービスで扱われている。2026年10月時点の配信情報サイトでは、『網走番外地 吹雪の斗争』がU-NEXTで見放題、Amazonプライム・ビデオなどでレンタル・購入対象になっている。第1作も U-NEXT、Amazon、楽天TV、Apple TV などの配信ページが案内されているが、作品ごと・時期ごとに見放題とレンタルが入れ替わるため、視聴前に各サービスで確認したい。
  • 期間限定の無料配信:東映の公式YouTubeチャンネル「東映シアターオンライン」で、第1作が2023年4月21日から5月5日まで期間限定で無料公開された。
  • 劇場での特集上映:高倉健の没後10年にあたる2024年11月には、東映最後の直営館だった丸の内TOEIで特集上映「銀幕での再会」が開かれ、『網走番外地 北海篇』などが初めてデジタル上映された。
  • ディスク:国内ではDVDが発売されており、宅配レンタルのTSUTAYA DISCASなどでも扱いがある。海外では前述のEureka版Blu-rayがある。

余談[編集]

  • 第1作は直前に公開された中村錦之助主演の大作時代劇が記録的不入りで打ち切られたため、予定を繰り上げて急きょ公開された。「穴埋め」がドル箱になった格好である。
  • キャッチコピーは「どうせ死ぬなら 娑婆で死ぬ」。予告編には「俺は自由が欲しい」というテロップが使われた。
  • 第2作『続』の予告編には、本編に存在しない逃走シーンが入っている。脚本1週間・撮影2週間の突貫工事ぶりがうかがえる。
  • 第1作の企画者だった三國連太郎は、東映が任侠路線に傾く中で自分の出番はないと考え、本作公開の翌年に東映との契約を解消してフリーになった。
  • 「新」シリーズを最も多く撮った降旗康男は、台本にはロケ地と出演者くらいしか書かれておらず、北海道で撮った素材を東京のセット撮影で辻褄を合わせる繰り返しだったと回想している。降旗はのちに『鉄道員(ぽっぽや)』『あなたへ』でも高倉と組む盟友になった。
  • 1970年代半ば、生放送のワイドショーでボクシング世界王者のガッツ石松が「尊敬する高倉健さんに捧げたい」と急に曲を変更し、この歌をフルコーラス歌ってしまったという逸話がある。番組終了間際に気づいたプロデューサーは青ざめたが、処分者は出なかったとされる。
  • 第1作で馬が撃たれる場面などは、実際に馬を殺して撮影したとされる。現在の撮影倫理ではまず考えられない、昭和のプログラムピクチャーらしい話である。
  • 元吉本興業専務の竹中功は、網走刑務所が日本でいちばん名前の知られた刑務所である理由として、まず「健さんの映画」を挙げている。

外部リンク[編集]

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