| 仁義なき戦い Battles Without Honor and Humanity | |
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![]() 『仁義なき戦い』シリーズの配信情報記事のアイキャッチ画像(出典:シネマトゥデイ、2025年7月) | |
| 監督 | 深作欣二 |
| 製作 | 企画:日下部五朗、俊藤浩滋 |
| 脚本 | 笠原和夫 |
| 原作 | 飯干晃一(美能幸三の手記に基づく) |
| 出演 | 菅原文太、松方弘樹、金子信雄、梅宮辰夫、田中邦衛、渡瀬恒彦、川地民夫、名和宏 ほか |
| 撮影 | 吉田貞次 |
| 音楽 | 津島利章 |
| ジャンル | 実録やくざ映画、群像劇 |
| 制作会社 | 東映京都撮影所 |
| 配給 | 東映 |
| フォーマット | カラー、シネマスコープ |
| 劇場公開 | 1973年1月13日 |
| 配信 | U-NEXT、東映オンデマンド(Amazonプライム・ビデオ チャンネル)ほか |
| 上映時間 | 99分 |
| 言語 | 日本語(広島弁) |
| 次作 | 仁義なき戦い 広島死闘篇(1973年) |
概要[編集]
仁義なき戦い(じんぎなきたたかい、1973年)とは、東映が製作・配給し、深作欣二が監督、菅原文太が主演したやくざ映画であり、同作から始まる映画シリーズの総称である。戦後の広島県で実際に起きた暴力団抗争を、当事者・美能幸三の獄中手記をもとに描いた「実録路線」の原点で、親分も子分も裏切りと保身に走る群像劇として日本映画史に名を刻んだ。
詳細[編集]
「仁義」のない世界を描いた実録映画[編集]
それまでの東映やくざ映画の主流は、高倉健や鶴田浩二が演じる、義理と人情に生き、最後に悪を斬る「任侠映画」だった。本作はその美学を真っ向からひっくり返した。登場するやくざたちは、親分は子分を使い捨て、子分は親分を出し抜こうとし、昨日の兄弟分が今日の敵になる。誰もがカネとメンツと生き残りのために動き、「仁義」はタイトル通りどこにもない。
舞台は終戦直後の広島県呉市と広島市。原爆のきのこ雲の写真に赤いタイトルが重なるオープニング、実在の事件のように日時と人名を打ち出す字幕、小池朝雄による報道調のナレーションなど、ドキュメンタリー風の語り口が採られた。登場人物には実在のモデルがいるが、作中では名前が変えられている。
公開と大ヒット[編集]
第1作は1973年1月13日、東映の正月第2弾として公開された。東映京都撮影所製作、カラー・シネマスコープ、上映時間99分。初日から記録的な客入りとなってロングランが決まり、1972年12月の段階でシリーズ化が、1973年3月には四部作化が決定するほどの勢いだった。結果として同年だけで3本が公開され、翌1974年の2本を加えた5部作として一旦完結した。
キネマ旬報の1973年度ベスト・テンでは2位に入り、同誌の読者選出ベスト・テンでは1位を獲得。菅原文太が主演男優賞、笠原和夫が脚本賞に選ばれた。後年のオールタイム・ベスト企画でも常連で、キネマ旬報の1999年の日本映画ランキングで8位、2009年のランキングで5位に入っている。
東映の路線転換[編集]
本作の成功によって、東映のやくざ映画は従来の任侠路線から、実在の抗争事件を題材にした「実録路線」へと大きく舵を切った。以後『仁義なき戦い』は単なるヒット作を超え、東映という会社のイメージそのものを形づくる看板作品になっていく。深作と日下部五朗が組んだ同時期の『県警対組織暴力』(1975年)なども、この路線を代表する作品として並び称される。
原作と製作の経緯[編集]
美能幸三の獄中手記[編集]
すべての出発点は、呉出身の元やくざ・美能幸三(1926年 - 2010年)が書いた手記である。美能は海軍に志願してラバウルや硫黄島などを転戦し、トラック島で終戦を迎えて復員。1947年に呉駅前で旅のやくざを射殺して服役し、その後地元の山村組の若衆となった。のちの映画で広能昌三が「山守組」に入る流れは、この経歴がもとになっている。
美能は網走刑務所に服役していた1965年、中国新聞記者による広島抗争の記事を読んだことをきっかけに、当事者の視点から抗争を振り返る手記を書き始めた。約5年かけて完成した原稿は、400字詰め原稿用紙で約700枚に及んだ。1970年に出所した美能は同年に引退を表明して堅気となり、のちに冠婚葬祭業などで成功、呉の観光ホテルのオーナーにもなった。
飯干晃一の連載[編集]
美能の手記を受け取った作家・飯干晃一は、それに解説を加える形で、1972年5月から『週刊サンケイ』で「広島やくざ・流血20年の記録 仁義なき戦い」の連載を開始した。全46回にわたる実録読み物で、これが映画版の原作としてクレジットされている。美能自身も続編的な連載「極道ひとり旅 続・仁義なき戦い」を執筆し、1973年に単行本化している。
『ゴッドファーザー』と岡田茂の号令[編集]
映画化の背景には、1972年に日本でも大ヒットした『ゴッドファーザー』があった。東映社長の岡田茂は「日本版のマフィア映画を」と企画を推し進め、プロデューサーの日下部五朗が担当、俊藤浩滋が広島側との調整役を務めた。当初は白黒の小品として構想されていたが、カラーの本格作品へと格上げされた経緯がある。
笠原和夫の脚本[編集]
脚本を任された笠原和夫は、広島に乗り込んで関係者を徹底的に取材した。取材の過程で、美能と自分が戦時中に同じ大竹海兵団にいたことがわかり、一気に打ち解けたという逸話が残る。また、作中の迫力ある広島弁のセリフは、広島出身の岡田茂社長の語り口を参考に組み立てたと笠原は語っている。笠原は第4作『頂上作戦』までの脚本を担当し、「広島抗争は第4部で終わった」として第5作の執筆を断った。
主演交代と配役[編集]
主演には当初、日活出身の渡哲也が候補に挙がっていたが、療養のため出演できず、菅原文太が広能昌三を演じることになった。山守義雄役にも別の俳優の名が挙がったが、最終的に金子信雄が起用された。撮影直前には金子が体調を崩し、西村晃を代役に立てる話も出たが、金子が病床から出演を熱望したため実現しなかった。結果的にこの金子の山守親分が、作品の「顔」の一つになる。
深作欣二の演出と撮影[編集]
手持ちカメラの「ブン回し」[編集]
深作欣二の起用が決まったのは撮影開始のわずか3日前で、ほぼ打ち合わせなしで撮影に入ったとされる。当時、東映で深作は本流から外れた存在だったが、その起用が「日本映画最高の群集劇」を生んだと評されている。
当時の日本映画は、黒澤明や小津安二郎、溝口健二らの作品に代表されるように、カメラを据えて撮る「フィックス」が基本だった。これに対し本作は、手持ちカメラ、ズームレンズ、自然光を多用し、画面ごと揺れながら乱闘に飛び込んでいく。冒頭の闇市の乱闘は、その場に居合わせた誰かが偶然撮った映像のようだと評される。この揺れるカメラは、以後深作のトレードマークになった。
ゲリラ撮影と「虚実の融合」[編集]
撮影の吉田貞次はニュース映像の出身で、実際の商店街で許可を取らずに撮る「ゲリラ撮影」を多用し、小型カメラを隠して撮影したこともあったという。俳優たちもカメラの位置がわからないまま芝居をすることがあり、ドキュメンタリーのような生々しさが生まれた。銃撃の場面ではストップモーション(静止画)を差し込み、死者の名前と日付を字幕で示す手法も印象的である。
「顔」で選ばれた俳優たち[編集]
菅原文太、松方弘樹、梅宮辰夫、渡瀬恒彦、金子信雄といった看板俳優に加え、川地民夫、川谷拓三、曽根晴美ら、いかにも本物らしい面構えの俳優が脇を固めた。斬られ役・殺され役を長年務めてきた大部屋俳優たちも画面狭しと暴れ回り、のちに川谷拓三や室田日出男、志賀勝らが「ピラニア軍団」として注目されるきっかけにもなった。川谷は映画のポスターに初めて自分の名前が載ったとき、「今、ここで死んでもええわ」と語ったと伝えられる。
あらすじ(第1作)[編集]
終戦直後の呉。復員兵の広能昌三は、闇市でのいざこざから地元の山守組の組員を助け、その流れで刀を振り回す男を射殺して刑務所に入る。獄中で土居組の若杉寛と兄弟分の契りを結んだ広能は、山守組組長・山守義雄の手引きで出所し、坂井鉄也、槙原政吉らとともに山守組の一員となる。
山守組は勢力を伸ばし、やがて土居組と対立する。広能は組のために土居組長の暗殺を引き受けるが、その代償として再び長い服役生活に入る。服役中、兄弟分の若杉は警察に追い詰められて命を落とす。
広能が獄中にいる間に、山守組の内部では親分・山守と、実力をつけた若頭格の坂井との対立が深まっていく。山守は口先だけの泣き落としと裏工作で子分たちを操り、坂井は組を実質的に掌握していく。仮出所した広能は両者の板挟みとなり、どちらにも利用され、裏切られる。
最後は坂井も抗争の果てに倒れる。坂井の葬儀の場に現れた広能は、祭壇に向けて拳銃を撃ち、山守らの前で啖呵を切って去っていく。親分の欺瞞と、仁義の消えた世界への怒りを叩きつけるこのラストは、シリーズを象徴する名場面として知られる。
登場人物とキャスト[編集]
第1作『仁義なき戦い』(1973年)[編集]
| 俳優 | 役名 | 立場 |
|---|---|---|
| 菅原文太 | 広能昌三 | 主人公。復員兵から山守組組員に。モデルは美能幸三 |
| 松方弘樹 | 坂井鉄也 | 山守組の若衆で、のちに組を実質的に掌握する |
| 金子信雄 | 山守義雄 | 山守組組長。保身と裏切りの名人 |
| 木村俊恵 | 山守利香 | 山守の妻 |
| 梅宮辰夫 | 若杉寛 | 土居組の若衆。獄中で広能と兄弟分に |
| 田中邦衛 | 槙原政吉 | 山守組組員。要領のよさで生き残る |
| 渡瀬恒彦 | 有田俊雄 | 山守組の若衆 |
| 川地民夫 | 神原精一 | 山守組組員 |
| 曽根晴美 | 矢野修司 | 山守組組員 |
| 三上真一郎 | 新開宇市 | 山守組組員 |
| 名和宏 | 土居清 | 土居組組長 |
| 川谷拓三 | 江波亮一 | 土居組組員 |
| 内田朝雄 | 大久保憲一 | 呉の顔役 |
| 伊吹吾郎 | 上田透 | ― |
| 小池朝雄 | (ナレーション) | ― |
第2作『広島死闘篇』(1973年)[編集]
| 俳優 | 役名 |
|---|---|
| 北大路欣也 | 山中正治(実質的な主人公) |
| 千葉真一 | 大友勝利 |
| 梶芽衣子 | 上原靖子 |
| 菅原文太 | 広能昌三 |
| 名和宏 | 村岡常夫 |
| 成田三樹夫 | 松永弘 |
| 金子信雄 | 山守義雄 |
| 加藤嘉 | 大友長次 |
| 前田吟 | 島田幸一 |
第3作『代理戦争』(1973年)[編集]
| 俳優 | 役名 |
|---|---|
| 菅原文太 | 広能昌三 |
| 小林旭 | 武田明 |
| 金子信雄 | 山守義雄 |
| 田中邦衛 | 槙原政吉 |
| 加藤武 | 打本昇 |
| 成田三樹夫 | 松永弘 |
| 山城新伍 | 江田省一 |
| 梅宮辰夫 | 岩井信一 |
| 渡瀬恒彦 | 倉元猛 |
| 川谷拓三 | 西条勝治 |
| 丹波哲郎 | 明石辰男 |
第4作『頂上作戦』(1974年)[編集]
| 俳優 | 役名 |
|---|---|
| 菅原文太 | 広能昌三 |
| 小林旭 | 武田明 |
| 金子信雄 | 山守義雄 |
| 田中邦衛 | 槙原政吉 |
| 山城新伍 | 江田省一 |
| 松方弘樹 | 藤田正一 |
| 宍戸錠 | 大友勝利 |
| 小倉一郎 | 野崎弘 |
| 夏八木勲 | 杉本博 |
第5作『完結篇』(1974年)[編集]
| 俳優 | 役名 |
|---|---|
| 菅原文太 | 広能昌三 |
| 北大路欣也 | 松村保(天政会理事長、のち三代目会長) |
| 小林旭 | 武田明(天政会二代目会長) |
| 金子信雄 | 山守義雄(天政会初代会長) |
| 山城新伍 | 江田省一 |
| 伊吹吾郎 | 氏家厚司 |
| 桜木健一 | 佐伯明夫 |
| 宍戸錠 | 大友勝利 |
| 松方弘樹 | 市岡輝吉 |
| 野川由美子 | かおる |
同じ俳優が別の役で再登場する問題[編集]
シリーズの名物が、一度死んだ役の俳優が別人として平然と再登場することである。松方弘樹は第1作で坂井鉄也を演じたあと、第4作では藤田正一、第5作では市岡輝吉として登場する。梅宮辰夫は第1作の若杉寛から第3作の岩井信一へ、渡瀬恒彦は第1作の有田俊雄から第3作の倉元猛へと「転生」している。また大友勝利は、第2作では千葉真一、第4作以降は宍戸錠が演じた。第4作で千葉が再登板する予定だったが、主演作の撮影と重なったため宍戸に交代したという。
シリーズ作品一覧[編集]
深作欣二監督による5部作[編集]
| 順 | 題名 | 公開日 | 脚本 | 主な舞台・内容 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 仁義なき戦い | 1973年1月13日 | 笠原和夫 | 終戦直後〜1950年代の呉。山守組の誕生と内紛 |
| 2 | 仁義なき戦い 広島死闘篇 | 1973年4月28日 | 笠原和夫 | 1950年代の広島。村岡組と大友連合会の抗争、山中正治の悲劇 |
| 3 | 仁義なき戦い 代理戦争 | 1973年9月25日 | 笠原和夫 | 1960〜1963年。村岡組の跡目争いと神戸の大組織による「代理戦争」 |
| 4 | 仁義なき戦い 頂上作戦 | 1974年1月15日 | 笠原和夫 | 1963〜1964年。抗争の激化と警察の組長一斉検挙「頂上作戦」 |
| 5 | 仁義なき戦い 完結篇 | 1974年6月29日 | 高田宏治 | 第三次広島抗争。政治結社「天政会」と広能の引退 |
第2作は、組織の論理に翻弄される一匹狼の若者・山中正治を北大路欣也が演じ、広能はほぼ脇に回る異色作。破天荒な大友勝利を演じた千葉真一の怪演も語り草で、配役は当初、北大路と千葉が逆だったという話もある。村岡組長の命で大友組の残党を襲い続けた山中は、やがて自分が罠にはめられていたことを知り、追い詰められて自ら命を絶つ。
第3作『代理戦争』は前2作を上回るヒットとなった。舞台裏では、西条勝治役の川谷拓三が「指詰め」に失敗して手首ごと切り落とすという壮絶な場面を演じ、梅宮辰夫は役作りで眉毛を剃り落とした結果、帰宅すると生まれたばかりの長女が怖がって泣き止まなかったという。第4作『頂上作戦』は配給収入3億300万円(1974年の邦画10位)、第5作『完結篇』は3億7100万円(同8位)を記録した。
新仁義なき戦い(1974〜1976年)[編集]
5部作完結の半年後、深作・菅原コンビで新シリーズ3作が作られた。いずれも広能昌三の物語ではなく、登場人物と設定を新たにした別シリーズである。
- 『新仁義なき戦い』(1974年12月28日公開):脚本は神波史男・荒井美三雄。呉の山守組組員・三好万亀夫(菅原文太)を主人公に、組内の対立に揺れる男を描く。
- 『新仁義なき戦い 組長の首』(1975年11月1日公開)
- 『新仁義なき戦い 組長最後の日』(1976年4月24日公開)
第1作公開から約3年半で、深作監督による『仁義なき戦い』は計8本に達した。
他監督による作品[編集]
- 『その後の仁義なき戦い』(1979年5月26日公開):工藤栄一監督。
- 『新・仁義なき戦い。』(2000年11月25日公開):阪本順治監督。豊川悦司らが出演し、布袋寅泰が音楽を担当し自らも出演した。
- 『新・仁義なき戦い/謀殺』(2003年2月15日公開):橋本一監督。
テーマ曲と音楽[編集]
津島利章のメインテーマ[編集]
シリーズの音楽を担当したのは津島利章である。トランペットが鳴り響く「チャララ〜」の不穏なメインテーマは、映画を観たことがない人でも一度は耳にしたことがあるとされるほど有名で、テレビのバラエティ番組などで、いかつい人物の登場シーンや一触即発の場面のBGMとして定番化しているといわれる。
『キル・ビル』で世界へ渡った「もう一つの仁義なき戦い」[編集]
よく混同されるのが、布袋寅泰の「BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY」である。これは津島利章の曲ではなく、2000年の阪本順治監督作『新・仁義なき戦い。』のために布袋が書き下ろしたメインテーマ(当初の題は「新・仁義なき戦いのテーマ」)だ。布袋は、豊川悦司が道頓堀の路地裏を歩く映像に合わせ、歩く速さに重いビートとギターフレーズを組み合わせたとされる。
この曲を気に入ったのがクエンティン・タランティーノで、自作『キル・ビル Vol.1』(2003年)のテーマとしての使用を熱望した。布袋は新曲の書き下ろしを提案したが、タランティーノは既存曲にこだわり、阪本監督の承諾を得て採用された。これを機に曲は世界的に知られるようになり、海外のCMや映画、スポーツ選手の入場曲などでも広く使われている。題名の英訳「Battle Without Honor or Humanity」自体が、『仁義なき戦い』の英題(Battles Without Honor and Humanity)に由来している。
評価と影響[編集]
国内の評価[編集]
映画評論家の佐藤忠男は、公開当時の『シナリオ』1973年4月号で、本作がアメリカのマフィア映画『バラキ』を「完全に抜いた」と評した。金子信雄が演じた山守義雄は、子分に泣き落としで頼み込み、都合が悪くなれば平然と切り捨てる小狡い親分として、「日本映画史上最高の悪役」と評されることもある。一方で、犯罪者を美化しているという批判も公開当時からあった。
2020年には、深作欣二の生誕90年と、同年2月に亡くなったプロデューサー日下部五朗の追悼として、東京・丸の内TOEIで5部作と『県警対組織暴力』のデジタル版が特集上映された。40年以上前の作品のリバイバルとしては異例の延べ1,000人超を動員し、全国8都府県9劇場へ上映が拡大された。
海外の評価[編集]
海外では「ヤクザ映画の最高峰」として紹介されることが多く、米国の雑誌『Complex』は2011年にシリーズをヤクザ映画の第1位に選んだ。英語圏の批評家たちは、「名誉の掟を守るのは自分に得なときだけ」の男たちを描き、善悪の区別を無効にした作品として評価している。海外向けには2004年に米国でボックスセットが、2015年に英国のArrow FilmsからBlu-ray・DVDが発売された。
後世の作品への影響[編集]
手持ちカメラで暴力の渦中に飛び込む撮影スタイル、乾いた群像劇、方言のセリフ回しは、その後の日本のやくざ映画・犯罪映画に大きな影響を与えた。2018年の映画『孤狼の血』(白石和彌監督、役所広司主演)は、東映による広島が舞台の暴力団映画で、しばしば『仁義なき戦い』と並べて語られる。深作欣二は後年の『バトル・ロワイアル』(2000年)でも海外で知られるようになり、タランティーノが同作に出演した栗山千明を『キル・ビル』に起用したことは、深作作品へのオマージュとして知られている。
主な関係者のその後[編集]
シリーズを支えた面々の多くはすでに世を去っている。
- 金子信雄(山守義雄役):1995年死去。
- 笠原和夫(脚本):2002年死去。
- 深作欣二(監督):2003年死去。『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』の撮影中に亡くなり、同作は息子の深作健太が引き継いで完成させた。
- 美能幸三(原作手記):2010年死去。
- 菅原文太(広能昌三役):2014年死去。
- 松方弘樹(坂井鉄也ほか):2017年死去。
- 梅宮辰夫(若杉寛ほか):2019年死去。
- 日下部五朗(企画):2020年死去。
- 田中邦衛(槙原政吉役)、千葉真一(大友勝利役):いずれも2021年死去。
余談[編集]
- 第1作のラストで広能が撃つのは、敵ではなく坂井の葬儀の祭壇である。誰も殺さないのに一番怖いラストとして語られることが多い。
- 第3作の旅館での交渉シーンで突然停電が起きる演出は、笠原和夫の脚本にはなく、深作欣二が現場で加えたものである。
- 第5作冒頭のデモ行進は、広島ではなく京都市の堀川通で撮影された。
- 第5作の大阪での踏切襲撃シーンの撮影中、車のタイヤが溝に落ちるトラブルが起きたが、現地のその筋の人たちが非常灯を振って電車を止め、撮影を無事終えたという逸話が残る。
- 「ササラモサラ」(広島弁で「めちゃくちゃ」の意)というセリフは、脚本にない松方弘樹のアドリブだという。
- 第4作で、原爆スラムに住む若者・野崎弘(小倉一郎)が球場の階段で暴行される場面は撮り直しが重なり、実際に殴られながら撮影されたとされる。
- 第4作のラスト、広能と武田が廊下で最後の別れを交わす場面は、小林旭の提案で裸足の芝居になった。
- 第1作の闇市の場面は、リンダ・ホーグランド監督のドキュメンタリー映画『ANPO』(2010年)で引用されている。
- 菅原文太の主演は渡哲也の療養による「代打」だったが、結果的に広能昌三は菅原の生涯の当たり役となった。
