志穂美悦子
Etsuko Shihomi(海外名義:Sue Shiomi)
EtsukoShihomi.png
志穂美悦子のポートレート(出典:ウィキメディア・コモンズ「EtsukoShihomi.png」、CC0)
本名 長渕悦子(旧姓:塩見)
誕生日 1955年10月29日
年齢 71歳
出身地 岡山県西大寺市(現・岡山市東区)
国籍 日本
学歴 岡山県立西大寺高等学校から中延学園高等学校へ転校・卒業
ジャンル 映画、テレビドラマ、時代劇、特撮、舞台、フラワーアート、シャンソン
ポジション 元女優(アクション女優)、フラワーアーティスト(花創作家)、シャンソン歌手(鬼無里まり名義)
活動期間 1973年 - 1987年(女優)、2010年代 - (花創作家)、2024年 - (シャンソン歌手)
デビューアルバム 『女必殺拳 志穂美悦子参上!!』(1976年、LP)
家族 夫は歌手の長渕剛(1987年結婚)。長女は女優の文音
身長 / 体重 163cm cm / ― kg
事務所 ジャパンアクションクラブ(JAC)→ 個人事務所ハンドレット(1985年設立)
代表作 『女必殺拳』シリーズ、『キカイダー01』、『柳生一族の陰謀』、『宇宙からのメッセージ』、『影の軍団』シリーズ、『柳生十兵衛あばれ旅』、『里見八犬伝』、『二代目はクリスチャン』
関連活動 千葉真一門下(JAC)、ひまわりプロジェクト(被災地支援)、世界らん展出展
あだ名 悦ちゃん
その他 別名義:鬼無里まり(きなさ まり、シャンソン歌手)
リンク 公式サイト「Love&Fight」


概要[編集]

志穂美悦子(しほみ えつこ、1955年10月29日 - )とは、千葉真一が率いたジャパンアクションクラブ(JAC)出身で、「日本初の本格アクション女優」と呼ばれた元女優である。『女必殺拳』シリーズで吹き替えなしの格闘アクションを見せて東映の看板スターとなり、1987年に歌手の長渕剛と結婚して引退。現在はフラワーアーティスト(花創作家)、そして「鬼無里まり」名義のシャンソン歌手として活動している。

詳細[編集]

「女がアクションをやる」を当たり前にした人[編集]

1970年代の日本映画で、女性が自分の体で殴り、蹴り、跳び、ロープにぶら下がる。今では当たり前に見えるこの光景を、ほぼ一人で切り開いたのが志穂美悦子である。それまでの「女だてら」の活劇は吹き替え(スタントダブル)頼みが普通だったが、志穂美はJACで鍛えた空手・少林寺拳法・器械体操の技術で、殺陣もスタントも自分でこなした。吹き替えなしで主演作を重ねたアクション女優は日本映画史上初とされ、海外でも「Sue Shiomi」の名でカルト的な人気を持つ。

千葉真一の「一番弟子」級の存在[編集]

中学時代に千葉真一主演のドラマ『キイハンター』を見て千葉の熱狂的ファンになり、スタントマンを志したのが原点。高校生でJACの試験に合格して上京し、以後は千葉主演作のヒロインや妹役として常にそばにいた。後年、独立して作った個人事務所の名前「ハンドレット」は、師匠・千葉真一の「千」にあやかって「百(hundred)」を英語にしたものだという。弟弟子の真田広之とは数え切れないほど共演し、JAC黄金期を象徴するコンビの一角でもあった。

引退、そして「花」と「歌」で再び表舞台へ[編集]

1987年に長渕剛と結婚すると、夫の意向もあって芸能界をすっぱり引退し、以後20年以上ほぼ表に出なかった。転機は2010年。友人に誘われた自由形式のフラワーアレンジメント教室をきっかけに花の世界にのめり込み、フラワーデザイナーに師事して「花創作家」として活動を始めた。東日本大震災後には被災地でボランティアや花の教室を続け、2024年には69歳でシャンソン歌手「鬼無里まり」としてデビュー。本人は結婚生活も花も歌も、自分にとっては全部「アクション」だと語っている。

経歴[編集]

生い立ち(岡山の陸上少女)[編集]

1955年、岡山県西大寺市(現在の岡山市東区)で、国家公務員の家庭の長女として生まれた。弟が1人いる。中学・高校では陸上部に所属し、中学時代には80mハードルで13秒4という岡山県歴代2位の記録を残したとされる。運動神経はこの頃から折り紙付きだった。テレビで『キイハンター』を見て千葉真一に憧れ、「自分もアクションをやりたい」と思うようになる。1971年に岡山県立西大寺高校へ進学した。

JAC入門と下積み(1972年 - 1973年)[編集]

1972年、千葉真一が主宰するジャパンアクションクラブの試験を受けて合格し、上京。東京の中延学園高校に転校して1974年に卒業した。入門後は夜の猛特訓の日々で、本人によれば毎晩のように空手、少林寺拳法、マット運動、トランポリンなどを数時間こなし、プールの日には手足を縛られたまま泳ぐ訓練まであったという。厳しさに涙したこともあったと振り返っている。

1973年、千葉主演の映画『ボディガード牙』で女優の吹き替え(スタント)として映画デビュー。続編『ボディガード牙 必殺三角飛び』から「志穂美悦子」の芸名で出演した。芸名は、本名の「塩見」の響きをほぼ残した形で、千葉の当時の妻だった女優の野際陽子が名付けたとされる。

『キカイダー01』のマリでブレイク(1973年 - 1974年)[編集]

同じ1973年、NETテレビ(現・テレビ朝日)の特撮ドラマ『キカイダー01』に、女性型アンドロイド・ビジンダーの人間態「マリ」役で出演。まだ高校生だったが、千葉真一の強い推薦で抜擢されたという。マリは悪の組織シャドウが01の弱点を突くために造った刺客だが、優しい心を持たされたため人間と機械の間で揺れ動くキャラクターで、第30話から登場して終盤は事実上の主役級の扱いになった(プロデューサーも後年そう振り返っている)。ビジンダーのレザー衣装は当時の視聴者に強い印象を残したとされ、志穂美の知名度を一気に押し上げた。

『女必殺拳』と東映のドル箱時代(1974年 - 1977年)[編集]

1974年、東映の映画『女必殺拳』で主演に抜擢される。千葉主演『激突! 殺人拳』のヒットを受けて急ぎ企画された作品で、少林寺拳法の使い手・李紅竜(り こうりゅう)が麻薬組織に囚われた兄を救うため横浜に乗り込む、という筋立て。少林寺拳法の開祖・宗道臣が格闘シーンに協力したことでも知られる。作品はヒットしてシリーズ化され、同年に『女必殺拳 危機一発』、翌1975年に『帰って来た女必殺拳』が作られた。

その後も『若い貴族たち 13階段のマキ』『華麗なる追跡』『少林寺拳法』(いずれも1975年)、『必殺女拳士』『女必殺五段拳』(1976年)、『激殺! 邪道拳』(1977年)と主演・ヒロイン作が続き、1975年から76年にかけてはブロマイドの売上1位を記録した。「東映のドル箱女優」と呼ばれたのはこの時期である。1976年には千葉主演のドラマ『七色とんがらし』でアクションなしの役にも挑戦し、芸域を広げた。

時代劇とJAC大作の時代(1976年 - 1983年)[編集]

1976年から77年の『大江戸捜査網』で時代劇に初挑戦。1978年には深作欣二監督の大作『柳生一族の陰謀』で柳生十兵衛(千葉真一)の妹・柳生茜を演じた。萬屋錦之介、松方弘樹らオールスターが並ぶこの作品は大ヒットし、同年のテレビ版にも出演している。同じ1978年、深作監督のSF大作『宇宙からのメッセージ』で惑星ジルーシアの姫・エメラリーダを演じた。

1980年代に入ると、千葉と真田、JAC勢を中心にした時代劇アクションの全盛期を迎える。テレビ時代劇『影の軍団』シリーズ(1981年 - )、千葉の柳生十兵衛の妹・茜が男装して中山道を旅する『柳生十兵衛あばれ旅』(1982年 - 1983年、テレビ朝日)では主題歌「明日よ、風に舞え」も担当した。1983年には角川映画『里見八犬伝』(深作欣二監督)に八犬士の一人・犬坂毛野として出演し、薬師丸ひろ子、真田広之らと共演。八犬士のうち4人がJAC出身という布陣で、桜吹雪の中の田楽舞から一転して殺陣になる場面は、当時日本舞踊を習っていた志穂美の素養を踏まえた深作演出の見せ場として語り継がれている。

女優としての幅を広げた後期(1982年 - 1987年)[編集]

1982年の蒲田行進曲(深作欣二監督、つかこうへい原作)には本人役で友情出演。1984年には映画『上海バンスキング』に出演し、萩本欽一の人気番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』ではコントにも挑戦するなど、アクション以外の顔も見せ始めた。1985年、つかこうへいが志穂美を念頭に構想した映画『二代目はクリスチャン』(井筒和幸監督、角川映画)で、修道女からヤクザの二代目組長になるシスター今日子を演じて主演。北大路欣也も特別出演したこの作品はヒットした。

1985年にJACから独立して個人事務所ハンドレットを設立。1986年には舞台『熱海殺人事件』、TBSのドラマ『親子ゲーム』、そして男はつらいよシリーズ第37作『男はつらいよ 幸福の青い鳥』(渥美清主演)でマドンナを務めた。この『男はつらいよ』が、結果的に最後の映画出演作となった。

結婚と引退(1987年 - )[編集]

1986年の『親子ゲーム』で共演した長渕剛と、撮影中に左手小指を骨折したことをきっかけに親しくなったとされる。1987年8月に入籍し、同年9月に奈良県天川村の天河大弁財天社で、両家の親族と親しい知人だけの式を挙げた。結婚を機に芸能界を引退し、以後は家庭に専念。子どもは3人で、長女は女優の文音。夫の個人事務所の代表を務めていた時期もある。2002年からは雑誌『ランナーズ』で対談連載「悦ちゃんといっしょに話走」を持つなど、趣味のマラソンを通じた活動はあったが、テレビにはほとんど出なかった。

花創作家として(2010年 - )[編集]

2010年、友人に誘われたフラワーアレンジメント教室で「自由に活けてみて」と言われたのが始まり。同じ頃、義父の七回忌に自宅へ届いたアレンジメントに感動し、その花を作った花店の教室にも通うようになって、二つの教室を掛け持ちしながら独学同然で腕を磨いた。2011年には東日本大震災とチベット難民キャンプの支援のため写真集『Flower Arrangement INSPIRE 〜いちかばちか〜』を自費出版し、売上を全額寄付。続いて2012年に『Flower Fighting INSPIRE』、2013年にニューヨークでの作品を収めた第3弾を出した。

震災直後の2011年には宮城県七ヶ浜町でボランティアとして約10日間寝泊まりし、翌年からは仮設住宅でお花教室を開催。仮設住宅がなくなるまで4年間、毎年ゴールデンウィークに通い続けた。千葉県のJA長生と組んで被災地にひまわりを届ける「ひまわりプロジェクト」、世界らん展への毎年の出展、薬師寺での奉納献花なども手がけている。コロナ禍以前は、ステージ上で約30分かけて身体と花だけで作品を作り上げるパフォーマンスを行い、そのアシスタントをJACの後輩たちが務めていた。

シャンソン歌手「鬼無里まり」(2024年 - )[編集]

20代前半、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」に通っていた経験があり、2024年、60代最後の年に「鬼無里まり」名義でシャンソン歌手デビューを果たした。「鬼無里」は思い出のある長野市の地名、「まり」は『キカイダー01』の役名に由来する。公式サイトによれば日本シャンソンコンクールで優秀賞を受けるなどコンクールでも結果を残しており、2025年に続き2026年7月には2度目のソロライブを開催。故郷・岡山を皮切りに、尾道・名古屋・東京・金沢の「パリ祭」への出演も予定された。目標はNHK紅白歌合戦への出場だと語っている。

作風・アクションの特徴[編集]

「アクションとは演技そのもの」[編集]

志穂美のアクションの最大の特徴は、速さや危険度だけでなく「美しさ」にある。千葉真一は弟子たちに「アクションとは演技そのもの」と説いたとされ、志穂美はそれを最も体現した一人とされる。蹴りの軌道、着地の姿勢、刀を構えた時の静止までが一つの芝居になっていて、『里見八犬伝』の田楽舞や『柳生十兵衛あばれ旅』の男装剣士のように、舞と殺陣の境目が分からない場面で真価を発揮した。

命がけのスタント[編集]

本人いわく、現役時代にはヘリコプターやロープウェーにぶら下がるなど、命の危険もある撮影を何度もこなした。当時は安全管理も今ほど整っておらず、「女優がそこまでやるのか」という驚きこそが彼女の売りでもあった。端正な顔立ちと清楚な雰囲気を持ちながら、画面の中では容赦なく敵を倒す、というギャップも人気の理由に挙げられる。

年齢を重ねても動ける体[編集]

2023年5月、JACの先輩に招かれて都内のイベントに出演した際には、67歳にして頭の高さを超える右ハイキックから一本背負いまでを披露し、全盛期並みのキレだと報じられた。2026年の取材では、ボクシングを始めて筋力トレーニングを続けていること、ベンチプレスは若い頃の52キロから現在は約45キロであること、食事は味噌汁・ご飯・焼き魚といったシンプルな和食で酒もたばこもやらないことを明かしている。

主な出演作[編集]

映画[編集]

  • 『ボディガード牙』(1973年、吹き替えとして出演)/『ボディガード牙 必殺三角飛び』(1973年)
  • 『女必殺拳』(1974年)/『女必殺拳 危機一発』(1974年)/『帰って来た女必殺拳』(1975年)
  • 『若い貴族たち 13階段のマキ』(1975年)/『華麗なる追跡』(1975年)/『少林寺拳法』(1975年)
  • 『必殺女拳士』(1976年)/『女必殺五段拳』(1976年)
  • 『激殺! 邪道拳』(1977年)/『ゴルゴ13 九竜の首』(1977年)
  • 『柳生一族の陰謀』(1978年、柳生茜役)/『宇宙からのメッセージ』(1978年、エメラリーダ役)
  • 『忍者武芸帖 百地三太夫』(1980年)/『吼えろ鉄拳』(1981年)
  • 『蒲田行進曲』(1982年、本人役)
  • 『里見八犬伝』(1983年)/『伊賀野カバ丸』(1983年)
  • 『コータローまかりとおる!』(1984年)/『上海バンスキング』(1984年)/『ザ・オーディション』(1984年)
  • 『二代目はクリスチャン』(1985年、シスター今日子役・主演)
  • 『男はつらいよ 幸福の青い鳥』(1986年、マドンナ役)

テレビ[編集]

  • 『キカイダー01』(1973年 - 1974年、NETテレビ、マリ/ビジンダー役)
  • 『ザ・ボディガード』(1974年)/『ザ★ゴリラ7』(1975年)/『燃える捜査網』(1975年 - 1976年)
  • 『七色とんがらし』(1976年)/『大江戸捜査網』(1976年 - 1977年)
  • 『明日の刑事』(1977年 - 1979年)/『柳生一族の陰謀』(1978年 - 1979年、関西テレビ制作・フジテレビ系)
  • 『熱中時代』(1978年 - 1979年、水谷豊主演)/『噂の刑事トミーとマツ』(1979年 - 1980年)
  • 『影の軍団』シリーズ(1981年 - )
  • 『柳生十兵衛あばれ旅』(1982年 - 1983年、テレビ朝日、柳生茜役)
  • 『金曜日の妻たちへII』(1984年)
  • 『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』(1983年 - 1985年)
  • 『親子ゲーム』(1986年、TBS)/『スタンドバイミー 〜気まぐれ白書〜』(1987年)

舞台[編集]

  • 『柳生十兵衛 魔界転生』(1981年、天草四郎時貞役)
  • 『スタントマン物語』(1981年)/『ゆかいな海賊大冒険』(1982年 - 1984年)
  • 『酔いどれ公爵』(1985年)/『じゃじゃ馬ならし』(1986年)/『熱海殺人事件』(1986年)

歌手活動[編集]

アクション女優時代から歌手としても活動していた。1975年のデビュー曲「13階段のマキ」は、主演映画『若い貴族たち 13階段のマキ』の主題歌で、作詞は『あしたのジョー』の原作者として知られる梶原一騎。2026年7月のトークショーでは、この曲を約半世紀ぶりに歌って喝采を浴びた。1976年にはLP『女必殺拳 志穂美悦子参上!!』、1977年に『恋のサタディーナイト』、1983年に『スリー・ディメンション』(オリコン最高70位)をリリース。『柳生十兵衛あばれ旅』の主題歌「明日よ、風に舞え」や、JACミュージカルのサウンドトラック盤にも参加している。

そして2024年、シャンソン歌手「鬼無里まり」として再デビュー。シャンソンについて本人は、フランスの革命や抑圧の歴史から生まれた「生きる」「死ぬ」を歌う歌であり、そこに惹かれると語る。夫・長渕剛との歌手としての共演については「ないでしょう」「足元にも及ばない」と即答しつつ、歌う時間を作ってくれたことには感謝していると話した。夫の力は借りないとも明言している。2014年のNHK紅白歌合戦で夫に付き添った際に美輪明宏の楽屋を訪ねたのが縁の始まりで、2026年6月の美輪の訃報には「シャンソンを歌う今、もう一度会いたかった」という趣旨の言葉で悔やんだ。

評価・反響[編集]

国内での評価[編集]

『女必殺拳』シリーズは、日本で女性アクションスターというジャンルを確立した作品として評価されている。東京スポーツは2022年の回顧記事で、海外では女優主演のアクション映画が今も多いのに対し、日本では「女性アクションスター」という言葉自体がほぼ聞かれなくなった、と志穂美の存在の大きさを振り返った。JAC出身の後輩女優たちの道を開いた先駆者としても語られることが多い。

海外での人気[編集]

『女必殺拳』は「Sister Street Fighter」の題で海外公開され、アメリカではニュー・ライン・シネマが英語吹き替え・再編集版を配給した。暴力描写のため当初X指定を受け、約6分をカットして公開したという逸話もある。英語吹き替えで主人公の名前は「Tina Long」に変えられた。2007年以降はアメリカでDVDボックス、2019年にはArrow VideoからBlu-rayコレクションが出るなど、今も海外の格闘映画ファンに愛されている。『宇宙からのメッセージ』もアメリカで3000館以上で公開され、90か国前後に販売された。

本人の再評価[編集]

引退から長い年月がたった2013年、『はなまるマーケット』などで27年ぶりにテレビに出演。2017年には『徹子の部屋』に31年ぶりに出演、2018年にはフジテレビ系『梅沢富美男のズバッと聞きます!』で約30年ぶりにバラエティー番組に登場し、花創作家に転身した理由や私生活の一端を明かした。2026年7月には東京・目黒シネマで『宇宙からのメッセージ』上映後のトークショーに登壇。引退後はトークショー出演を断ってきたため、銀幕関連の登壇は約40年ぶりで、チケットは即日完売した。

炎上とバズ[編集]

  • 2021年9月、NHK『あさイチ』の植物コーナーに花の先生として突然登場し、ネットで話題に。博多華丸が『二代目はクリスチャン』を10回見たと明かし、博多大吉が『キカイダー』シリーズのファンだったと緊張する一方、志穂美のほうも二人の漫才を劇場に見に行くファンだと明かして、華丸が「次から漫才できない」と動揺する一幕があった。
  • 2023年6月、67歳でのハイキック映像が報じられると、SNSでは「長渕剛より強いかも」という声まで上がった。
  • 自宅の庭のモッコウバラを本人がInstagramで公開した際にも「素敵」「羨ましい」と反響を集めるなど、本人発信の花の写真は根強いファンを持つ。
  • 目立った炎上は報じられていない。

余談[編集]

  • 初期の映画では「塩見悦子」の名義もあった。海外での表記「Sue Shiomi」も本名の「塩見」から来ている。
  • 『宇宙からのメッセージ』の撮影は2月の京都で行われ、あまりの寒さに炭火で暖を取りながら撮影したという。アメリカの俳優ヴィック・モローが現場にいたことも印象に残っていると語っている。
  • 深作欣二監督は徹夜撮影が当たり前で「深夜作業組」とあだ名されたが、志穂美は駐車場で役者と一緒に走り回りながら演技指導する深作を、役者もスタッフも誇りに思える存在だったと振り返った。
  • 『二代目はクリスチャン』の企画は、1982年に東映京都撮影所で『蒲田行進曲』を撮っていた頃、つかこうへいとプロデューサーの間で「志穂美悦子ありき」で生まれたとされる。
  • 『キカイダー01』には、歌手の小林幸子がパン屋の店員役でゲスト出演した回があり、マリ登場後の第35話にあたる。
  • JACの同期・後輩には真田広之のほか多くのスタントマン・俳優がいる。現役時代の『影の軍団』や『柳生十兵衛あばれ旅』でのJAC総出の殺陣は、千葉真一の記事にも詳しい。
  • 最後の映画出演作『男はつらいよ 幸福の青い鳥』には長渕剛も出演しており、英語版Wikipediaでは二人の出会いをこの作品とする記述もある。日本語の報道では、出会いはドラマ『親子ゲーム』での共演とされるのが一般的。

外部リンク[編集]

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