蒲田行進曲
Fall Guy(英題)/Kamata Kōshinkyoku
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映画の撮影が行われた東映京都撮影所に隣接する東映太秦映画村(出典:Wikimedia Commons)
Fukasaku_Kinji.jpg
監督の深作欣二(出典:Wikimedia Commons)
監督 深作欣二
製作 角川春樹(プロデューサー:佐藤雅夫、斎藤一重、小坂一雄)
脚本 つかこうへい
原作 つかこうへい『蒲田行進曲』(戯曲・小説)
出演 松坂慶子、風間杜夫、平田満、高見知佳、原田大二郎、蟹江敬三、清川虹子 ほか
撮影 北坂清
音楽 甲斐正人
ジャンル 人情喜劇、バックステージもの
撮影期間 1982年夏(階段落ちは1982年8月13日撮影)
制作会社 角川春樹事務所、松竹(撮影:東映京都撮影所)
配給 松竹
フォーマット カラー
劇場公開 1982年10月9日
配信 U-NEXT、Hulu、FOD、Lemino ほか(2026年10月時点)
上映時間 109分(資料により107分とも)
興行収入 配給収入17億6000万円
言語 日本語



概要[編集]

蒲田行進曲(かまたこうしんきょく)とは、つかこうへいの戯曲・小説、およびそれを原作に深作欣二が監督した1982年の日本映画である。時代劇の撮影所を舞台に、わがままなスター俳優「銀ちゃん」、彼に尽くす大部屋俳優「ヤス」、銀ちゃんに捨てられた女優「小夏」の三角関係を描く。命がけのスタント「階段落ち」をクライマックスに、笑いと涙を詰め込んだ80年代日本エンタメの代表作。

詳細[編集]

舞台→小説→映画と三段跳びした作品[編集]

始まりは1980年11月、東京・新宿の紀伊國屋ホールで劇団つかこうへい事務所が初演した舞台だった。初演は銀四郎役が加藤健一、小夏役が根岸季衣、ヤス役が柄本明という布陣で、同年の第15回紀伊國屋演劇賞を受賞。つかはこの戯曲を自ら小説化し、1981年に『野性時代』で「銀ちゃんのこと」として発表、単行本『蒲田行進曲』は1982年1月に第86回直木賞(直木三十五賞)を受賞した。そして同年秋、角川映画として映画化され、日本中の映画賞を総なめにした。舞台・小説・映画の三つの形でそれぞれ頂点を取った、日本でもかなり珍しいタイプの作品である。

タイトルの「蒲田」なのに舞台は京都[編集]

タイトルの「蒲田行進曲」は、かつて東京・蒲田にあった松竹蒲田撮影所の愛唱歌として知られた歌から取られている。ところが物語の舞台は京都の時代劇撮影所で、映画版の撮影も松竹ではなく、ライバル会社東映の京都撮影所(太秦)で行われた。しかも登場人物のモデルも東映京都の大部屋俳優の逸話というねじれっぷり。松竹の名前を背負ったタイトルを、角川が企画し、東映の撮影所で撮り、松竹が配給するという、当時の映画界でもかなり異例の座組みで作られた作品である。

「階段落ち」という一発ネタ[編集]

本作の代名詞が「階段落ち」。劇中劇の時代劇『新撰組』で、池田屋の大階段から斬られた浪士が転げ落ちるという危険なシーンのことで、映画版ではこれが物語全体の到達点になる。セットは高さ約8メートル、35段(39段とする資料もある)の大階段で、1982年8月13日に東映京都撮影所で撮影された。この場面のインパクトはすさまじく、「階段落ち」という言葉自体が、体を張った見せ場や無茶なリアクションの代名詞として一般に定着したほどである。

笑って泣いて手に汗にぎる[編集]

深作欣二といえば『仁義なき戦い』に代表される暴力描写と手持ちカメラのイメージが強いが、本作では一転してドタバタの人情喜劇に挑んだ。深作自身、本作を「泣く、笑う、(手に汗を)にぎる」の三要素がそろった作品だと自負していたとされる。つかこうへい特有の早口でまくしたてる台詞回しと、深作の勢いある演出がかみ合い、1980年代の日本映画を代表するヒット作になった。

あらすじ[編集]

時代劇映画全盛期の京都の撮影所。人気スターの倉岡銀四郎、通称「銀ちゃん」は、主演映画『新撰組』で土方歳三役を演じているが、共演の若手スター・橘が自分より目立つことにいら立ち、わがまま放題。さらにクライマックスの見せ場である「階段落ち」は、危険すぎるという理由で中止が検討されていた。

そんなある日、銀ちゃんは子分格の大部屋俳優・村岡安治(ヤス)のアパートに、恋人で落ち目の女優・水原小夏を連れてくる。小夏は銀ちゃんの子を身ごもっていたが、会社に売り出してもらうために身辺をきれいにしたい銀ちゃんは、「お前、小夏と一緒になれ」とヤスに押しつけてしまう。もともと小夏のファンだったヤスは喜んで引き受けるが、小夏は当初、困惑するばかりだった。

ヤスは小夏と生まれてくる子どものために、危険なスタントの仕事を次々と引き受けて金を稼ぐ。小夏も次第にヤスの不器用な優しさに心を開き、二人はヤスの故郷・人吉へ結婚の報告に行く。一方、銀ちゃんは人気に陰りが見え、撮影所でも居場所を失っていく。

落ち込む銀ちゃんを見かねたヤスは、誰もやりたがらない階段落ちを自ら引き受ける。撮影前夜、それでも冷たい態度を取り続ける銀ちゃんの姿に、ヤスは10年間殴られ蹴られ続けてきた鬱憤を小夏にぶちまける。そして撮影当日、ヤスは大階段の上に立つ……。ラストには、映画ならではのあっと驚く「仕掛け」が用意されている。

登場人物とキャスト[編集]

映画版(1982年)のキャストを中心に記す。

  • 水原小夏(松坂慶子):落ち目の女優で、銀ちゃんの恋人。銀ちゃんの子を宿したままヤスに押しつけられる。当時30歳前後の松坂が、気が強く情の深い小夏を演じ、本作で主演女優賞を総なめにした。
  • 倉岡銀四郎(風間杜夫):通称「銀ちゃん」。わがままで見栄っ張りだが、打たれ弱く寂しがり屋の時代劇スター。決め台詞の連発で強烈な印象を残し、風間の出世作となった。
  • 村岡安治(平田満):通称「ヤス」。銀ちゃんに心酔し、殴られても蹴られても尽くし続ける大部屋俳優。熊本県人吉の出身。平田は本作で一躍全国区の俳優になった。
  • 朋子(高見知佳):銀ちゃんの新しい恋人。
  • 橘(原田大二郎):銀ちゃんのライバルとなる若手スター。
  • 監督(蟹江敬三):劇中劇『新撰組』の監督。
  • トクさん(岡本麗)
  • 山田(汐路章):実際に東映京都で階段落ちの逸話を持つ汐路章本人が出演している。
  • ヤスの母(清川虹子):人吉でヤスと小夏を迎える母。
  • そのほか、榎木兵衛、萩原流行、酒井敏也、石丸謙二郎らが大部屋俳優仲間などで出演。
  • 劇中の撮影所の場面には、千葉真一、真田広之、志穂美悦子が本人役で友情出演しており、当時のアクション俳優集団JAC(ジャパンアクションクラブ)の看板スターがそろい踏みする。

制作[編集]

映画化権の争奪戦[編集]

舞台の大ヒットを受け、映画化権をめぐっては複数の会社が名乗りを上げた。当初はつか自身が監督し、フジテレビ資本で映画化する構想もあったとされる。一方、松竹は「松竹蒲田」を想起させるタイトルの作品を他社に任せたくないと動き、最終的に角川春樹が映画化権を手にした。

角川は最初、東映の岡田茂社長に企画を持ち込んだが、「楽屋オチの話なんて誰が見るのか」という趣旨で断られたとされる。そこでタイトルの縁がある松竹に話が持ち込まれ、角川春樹事務所と松竹の共同製作、松竹系での公開が決まった。撮影は時代劇のセットがそろう東映京都撮影所で行われ、結果的に東映も協力する形になった。TBSはクレジットに名を連ねていないが、放送権料として3億円を出したとされる。角川側は企画・製作・宣伝をすべて角川方式で行うことを条件にしていた。

キャスティングの紆余曲折[編集]

当初の発表では、銀四郎役に松田優作、ヤス役に宇崎竜童、小夏役に松坂慶子という豪華な顔ぶれだった。しかし松田優作が銀四郎役を辞退し、配役は白紙に。深作の意向もあって、舞台版で銀ちゃんとヤスを演じていたつか門下の風間杜夫と平田満が起用された。風間の起用が決まったのは撮影直前だったという。

配役をめぐってはつかと深作の意見が対立し、角川が一時「企画中止」を宣言する騒ぎにもなった。最終的には、つかと深作が夜中に角川の自宅を訪ねて頭を下げ、なんとか収まったとされる。結果として、舞台で役を体に染み込ませていた二人の起用が、作品最大の勝因の一つになった。

階段落ちの撮影[編集]

実は舞台版には階段のセットはなく、階段落ちは台詞や演技で表現されていた。映画版では東映京都撮影所のステージに高さ約8メートルの大階段が組まれた。撮影は1982年8月13日。上の6段ほどを平田満自身が演じ、残りの29段はJAC所属のスタントマン・猿渡幸太郎が転げ落ちた。階段の縁にはゴムが貼られ、スタントマンはウエットスーツを着込んで撮影に臨んだという。ちなみに小説・戯曲では階段の高さは「10メートル」とされている。

モデルは東映京都の大部屋俳優[編集]

物語の着想源になったのは、東映京都撮影所の大部屋俳優として長く活躍した汐路章の階段落ちの逸話である。つかは、汐路がテレビ番組『徹子の部屋』でこの話を語ったのを見て着想を得たとされる。また、当時の東映京都撮影所長・高岩淡は、銀ちゃんは東映の大スター萬屋錦之介(愛称「錦ちゃん」)をイメージしたものだと語っている。

主題歌「蒲田行進曲」[編集]

タイトルにもなった「蒲田行進曲」は、もともとはルドルフ・フリムル作曲のブロードウェイ・オペレッタ『放浪の王者(The Vagabond King)』(1925年)の劇中歌「放浪者の歌(Song of the Vagabonds)」である。これに堀内敬三が日本語詞をつけ、1929年の松竹蒲田作品『親父とその息子』の主題歌として使われた。同年8月には川崎豊と曽我直子のデュエットでコロムビアからレコードが発売されている。

この歌は松竹蒲田撮影所で働く人々に愛唱され、事実上の撮影所歌のような存在になった。蒲田撮影所は田中絹代らのスターを生んだ日本映画の黄金期の象徴であり、その記憶を背負った曲を、つかは作品のタイトルに据えたわけである。

1982年の映画版では、松坂慶子・風間杜夫・平田満の3人が歌う新録音版が主題歌として使われ、大ヒットした。劇中でもヤスが小夏と暮らし始める場面や、ヤスの帰郷場面での吹奏楽演奏など、要所で流れる。現在はJR蒲田駅の発車メロディとしても使われているほか、プロ野球・横浜大洋ホエールズの加藤博一の応援歌に使われたこともある。

評価・受賞[編集]

映画版は1982年10月9日に公開され、角川映画『この子の七つのお祝いに』との2本立てで配給収入17億6000万円を記録する大ヒットとなった。好評を受けてアンコール上映も行われている。

賞レースでは文字どおりの総なめ状態だった。

  • 第6回日本アカデミー賞:最優秀作品賞、最優秀監督賞(深作欣二)、最優秀脚本賞(つかこうへい)、最優秀主演男優賞(平田満)、最優秀主演女優賞(松坂慶子)、最優秀助演男優賞(風間杜夫)、最優秀音楽賞ほか
  • 第56回キネマ旬報ベスト・テン:日本映画ベスト・テン第1位、監督賞、脚本賞、主演女優賞、助演男優賞(平田満)、読者選出日本映画ベスト・テン第1位
  • 第37回毎日映画コンクール:日本映画大賞、監督賞、女優演技賞(松坂慶子)、美術賞(高橋章)、日本映画ファン賞
  • 第25回ブルーリボン賞:作品賞、監督賞
  • 第7回報知映画賞:作品賞、主演男優賞(平田満)
  • 第4回ヨコハマ映画祭:日本映画ベストテン第2位、助演男優賞(平田満)

面白いのは、日本アカデミー賞では平田満が「主演」、風間杜夫が「助演」で受賞している点。物語上の主役が銀ちゃんなのかヤスなのか、見る人によって意見が分かれる本作らしい結果である。また、2006年10月10日には、本作を図柄にした記念切手も発行された。

一方で、松竹の大御所プロデューサー・野村芳太郎は、松竹蒲田を思わせる題材を他社主導で映画化されたことに憤ったとされ、これが松竹撮影所の歴史を描く山田洋次監督の『キネマの天地』(1986年)の企画につながったという。同作の劇中でも「蒲田行進曲」が随所で流れている。

舞台版の歴史[編集]

つかこうへい事務所時代[編集]

1980年11月の初演(加藤健一・根岸季衣・柄本明)のあと、1981年12月には「銀ちゃんのこと」の題で再演され、風間杜夫が銀四郎役で加わった。1982年には劇団つかこうへい事務所の解散公演として上演され、銀四郎役を前半は加藤健一、後半は風間杜夫が務め、小夏は根岸季衣、ヤスは平田満が演じた。つかの劇団は当時、定員を大きく超える観客が押し寄せる社会現象的な人気を誇っており、本作はその頂点の一つだった。

1990年代以降の再演[編集]

1999年と2000年のつかこうへい演出版では、少年隊の錦織一清が銀四郎、小西真奈美が小夏、草彅剛がヤスを演じた。草彅は後年、この作品で「お芝居の扉が開いた」と語り、つかとの出会いを人生の大きな転機に挙げている。小西真奈美にとってもヒロイン抜擢の出世作となった。2006年版では錦織一清が再び銀四郎を演じ、黒谷友香が小夏、風間俊介がヤス、佐藤アツヒロも出演した。

宝塚版・小劇場での上演[編集]

宝塚歌劇団は1996年、月組の久世星佳主演で『銀ちゃんの恋』(潤色・演出:石田昌也)として舞台化。その後も2008年の花組・大空祐飛主演版などで再演され、2021年には花組の水美舞斗主演で4度目の上演が行われた。また大阪の劇団☆新感線は1983年にいち早く本作を上演しており、このときヤスを演じたのは渡辺いっけいだった。2019年にはたやのりょう一座版(小夏役:中村静香)、2023年には神田時来組版(小夏役:熊切あさ美)が上演されるなど、現在も小劇場の定番レパートリーとして全国で演じられ続けている。

完結編『銀ちゃんが逝く』[編集]

続編にあたる小説『銀ちゃんが、ゆく 蒲田行進曲完結篇』は1987年に刊行され、1994年には舞台『蒲田行進曲完結編 銀ちゃんが逝く』として初演、1997年には新国立劇場小劇場の柿落とし公演にもなった。こちらは、ヤスと小夏の間に生まれた娘が難病に冒され、銀ちゃんが娘の命と引き換えに自ら階段落ちに挑むという物語。つかの没後10年にあたる2020年には朗読劇として、2022年には紀伊國屋ホールで味方良介主演の舞台として上演された。

テレビドラマ・関連作品[編集]

  • 『決定版!蒲田行進曲』(TBS、1983年):前編が6月22日、後編が6月29日に放送。銀四郎役は沖雅也、小夏役は大原麗子、ヤス役は柄本明。銀四郎役の沖雅也が後編放送前日の6月28日に亡くなったことで、後編は大きな注目を集めた。
  • 『続・蒲田行進曲 銀ちゃんが行く』(TBS、1991年12月30日放送)
  • パロディ:1982年11月27日にはフジテレビのバラエティ『オレたちひょうきん族』がパロディを放送。1984年の『新春スターかくし芸大会』(フジテレビ)では『市ヶ谷行進曲』として、西城秀樹がヤス役を演じた。
  • 書籍:戯曲『蒲田行進曲:戯曲 つかこうへい新作集』(角川書店、1982年)、小説の角川文庫版(1982年8月)、『シナリオ蒲田行進曲』(角川文庫、1982年9月)などが刊行されている。

放送・配信[編集]

映画版は、2026年10月時点でU-NEXT、FOD、Lemino、Hulu、J:COM STREAMで見放題配信されている。Amazon Prime Video、DMM TVなどではレンタル(または購入)で視聴可能。Netflixでは配信されていない。DVD・Blu-rayも発売されており、DVDの特典映像には本編から外れた没シーンなどが収録されている。配信状況は変わりやすいため、最新情報は各サービスで確認したい。

余談[編集]

  • 当時中学生だった元阪神タイガースの桧山進次郎が、京都ロケにエキストラとして参加していたという。ただし本人によると、出演シーンはカットされてしまったそうだ。
  • 東映の岡田茂社長は「楽屋オチの話なんて誰が見るのか」という趣旨で企画を断ったとされるが、結局撮影は東映京都撮影所で行われ、大ヒットした。断った側の撮影所で撮られたというのが、いかにもこの作品らしい。
  • 公開直後の1982年11月には早くも『オレたちひょうきん族』がパロディ化し、1984年の『新春スターかくし芸大会』でも『市ヶ谷行進曲』として再現されるなど、テレビのお笑いネタとしても定番化した。
  • 劇中劇の撮影所の場面で本人役で出演する千葉真一・真田広之・志穂美悦子は、いずれもJACのスター。階段を落ちたスタントマンもJACのメンバーであり、本作はJACの存在感が際立つ一本でもある。
  • 原作者のつかこうへいは2010年に死去。訃報に際しては、ヤス役の平田満が「あまりにも早いお別れ」とショックを語った。
  • 風間杜夫・平田満はともにつかこうへいの劇団で育った「つか門下」で、本作が二人の映画での出世作になった。風間はつかとの出会いを「人生の大きな転機」と語っており、奇しくも後年の草彅剛と同じ言葉で恩師を振り返っている。
  • 映画版の同時上映『この子の七つのお祝いに』は、同じく角川・松竹系で公開されたサスペンス作品。笑って泣ける本作とホラー寄りのミステリーという、なかなか振れ幅の大きい2本立てだった。

外部リンク[編集]

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