竹脇無我
たけわき むが / Muga Takewaki
Muga_Takewaki.jpg
1966年(国際情報社『映画情報』第31巻1月号より、出典:ウィキメディア・コモンズ、PD-Japan-organization)
本名 竹脇無我(芸名と同じ)
誕生日 1944年2月17日
死亡日 2011年8月21日
死亡年齢 67歳(数え年68)
出身地 千葉県我孫子市
国籍 日本
学歴 青山学院中等部・高等部、青山学院大学法学部卒業
ジャンル 映画、テレビドラマ、時代劇、司会、歌
活動期間 1960年 - 2011年
デビューアルバム 1960年 映画『しかも彼等は行く』(松竹)
家族 父:竹脇昌作(アナウンサー・映画解説者)、長兄:竹脇義果(元ラジオ関東アナウンサー)
事務所 松竹 → 石原プロモーション → タケワキプロダクション → イザワオフィス → アクターズ・セブン
代表作 『三人家族』『二人の世界』『姿三四郎』『大岡越前』『だいこんの花』『江戸を斬る 梓右近隠密帳』『人生劇場』『岸辺のアルバム』『森繁久彌のおやじのヒゲ』
関連活動 司会(『ヤング720』)、歌手(「だいこんの花」ほか)、ナレーション
あだ名 無我ちゃん、無我爺(神田正輝による呼び名)
その他 著書『凄絶な生還 うつ病になってよかった』(2003年、マキノ出版)


概要[編集]

竹脇無我(たけわき むが、1944年2月17日 - 2011年8月21日)とは、千葉県我孫子市出身の俳優である。名アナウンサー竹脇昌作の三男として生まれ、16歳で松竹からデビュー。『三人家族』『姿三四郎』『だいこんの花』『大岡越前』『江戸を斬る』など昭和のテレビドラマで「理想の夫ナンバーワン」と呼ばれた正統派の二枚目である。後年はうつ病との長い闘病を自ら公表し、その体験を本にまとめたことでも知られる。

詳細[編集]

「宇宙」になるはずだった名前[編集]

「無我」という一度聞いたら忘れられない名前は芸名ではなく本名である。父の竹脇昌作は当初、息子に「宇宙」と名付けるつもりだったが、母親が反対して「無我」に落ち着いたというエピソードが知られている。どちらにしても常人のネーミングセンスではないが、ラジオの人気者として「竹脇節」と呼ばれる独特の話芸で一世を風靡した父らしい発想ともいえる。三人兄弟の末っ子で、長兄の竹脇義果も後にラジオ関東のアナウンサーとなった。次兄の真理は脳腫瘍のため18歳で早世しており、無我は若くして家族の死と向き合うことになった。

16歳で映画界へ[編集]

1959年、父・昌作が急逝し、一家の暮らしは大きく揺らいだ。無我は家計を支えるため、青山学院に通いながら16歳で映画の世界に飛び込む。1960年の松竹映画『しかも彼等は行く』で俳優デビューし、学業と撮影を両立させて青山学院大学法学部を卒業した。松竹では同期に田村正和がおり、二人は退社後も長く親交を続けた。1965年の『アンコ椿は恋の花』で初主演を果たし、甘いマスクと父譲りの美声で女性ファンを一気に増やしていく。

「理想の夫ナンバーワン」[編集]

1968年、TBSの「木下恵介アワー」枠で放送された『三人家族』で栗原小巻と恋人役を演じ、ブレイク。続く『二人の世界』でも再び栗原とコンビを組み、「竹脇無我と栗原小巻」は茶の間の理想のカップル像として語られるようになった。誠実で知的、声が良くて少し不器用な青年像は、当時の女性視聴者から「結婚するならこんな人」と支持され、「理想の夫ナンバーワン」という称号が定着した。1970年には『姿三四郎』でアクションもこなし、清潔感のある二枚目スターとしての地位を不動のものにした。

経歴[編集]

松竹時代(1960年 - 1960年代後半)[編集]

松竹ではデビュー作『しかも彼等は行く』(1960年)以降、『男の影』(1964年)、『アンコ椿は恋の花』(1965年)、『天下の快男児』『女の一生』など青春映画や文芸映画に次々と出演した。いわゆる大船調のホームドラマ・メロドラマの文法を若くして身に付けたことが、のちのテレビでの演技の土台になったとされる。1960年代半ばにはレコードも発売しており、「青雲涙あり」(1965年)、「男の魂」(1966年)などを吹き込んでいる。

また1966年11月から1967年9月まで、TBS系の若者向け朝番組『ヤング720』でメイン司会を務めた。ここでテレビの生放送の現場を経験したことも、テレビ俳優としての飛躍につながったといえる。

石原プロモーションとテレビの時代(1968年 - 1970年代)[編集]

映画産業が斜陽になると、活躍の場はテレビへと移る。一時期は石原裕次郎率いる石原プロモーションに籍を置き、1971年に退社した後はタケワキプロダクションを立ち上げた。石原プロとの縁は退社後も続き、後輩の神田正輝からは「無我爺」と呼ばれて慕われていたという。

1968年の『三人家族』、1970年の『二人の世界』(ともにTBS・木下恵介アワー、脚本は山田太一ほか)でトップスターとなり、同じ1970年には日本テレビの『姿三四郎』で主演。さらに同年からはTBSの時代劇『大岡越前』、NET(現・テレビ朝日)の『だいこんの花』と、時代劇と現代劇の両輪で看板番組を抱える売れっ子となった。1972年には映画『人生劇場』で青成瓢吉を、1973年には『花と竜』で玉井勝則を演じ、映画でも主役を張った。

1973年から1974年にかけては『江戸を斬る 梓右近隠密帳』で主演。1974年には日本テレビの『鞍馬天狗』でも主演するなど、1970年代前半はまさに出ずっぱりの状態だった。

名脇役としての円熟(1977年 - 1990年代前半)[編集]

1977年の『岸辺のアルバム』(TBS)では、それまでの「誠実な夫」イメージを逆手に取る役で特別出演した。八千草薫演じる主婦・則子に無言電話をかけ続け、やがて不倫関係になる男・北川である。視聴者が知る「竹脇無我」の甘い声が電話口から聞こえてくる演出は強烈で、ドラマ史に残る名場面とされている。

NHKでも大河ドラマ『国盗り物語』『元禄太平記』『峠の群像』や、1984年から1985年の『宮本武蔵』(柳生宗矩役)などに出演。1984年からは『森繁久彌のおやじのヒゲ』シリーズ(TBS)で大国昭伍を演じ、森繁との親子コンビを再び見せた。東芝日曜劇場にも数多く出演し、ホームドラマの常連として茶の間に親しまれた。

うつ病との闘いと復帰(1990年代 - 2000年代)[編集]

本人の著書によれば、48歳ごろから原因の分からない不調と「死にたい」という衝動に襲われるようになり、それを酒で紛らわせる日々が続いた。心療内科でうつ病と診断され、半年の入院を経ていったん退院するが再発。糖尿病や高血圧も併発して再入院するなど、闘病はおよそ8年に及んだ。

回復後、無我はこの経験を隠さず語ることを選んだ。2003年には精神科医・上島国利の監修で『凄絶な生還 うつ病になってよかった』(マキノ出版)を刊行。2007年には日本総合病院精神医学会の市民向けフォーラムで、この本と同じタイトルの講演を行っている。俳優としても『水戸黄門』などの時代劇に出演し、2008年製作の映画『ふうけもん』、2010年の映画『大奥』など、晩年まで現場に立ち続けた。

死去[編集]

2011年8月21日未明、自宅で意識を失っているところを発見され、東京都大田区の東邦大学医療センター大森病院に搬送された。同日午後、小脳出血のため死去。67歳だった。翌年1月には明治座公演『女たちの忠臣蔵』への出演が決まっていたが、それはかなわなかった。

8月22日に東京都民教会で近親者による密葬が営まれ、10月5日には都内のホテルで「お別れの会」が開かれた。発起人には40年来の親友・加藤剛や小泉純一郎元首相らが名を連ね、約300人が参列。加藤は弔辞で、無我がいないとはどうしても思えないと語りかけた。

主な出演作[編集]

テレビドラマ[編集]

  • 『3人家族』(1968年 - 1969年、TBS・木下恵介アワー)- 柴田雄一役
  • 『二人の世界』(1970年 - 1971年、TBS・木下恵介アワー)- 宮島二郎役
  • 『姿三四郎』(1970年、日本テレビ)- 主演・姿三四郎役
  • 『大岡越前』第1部 - 第3部(1970年 - 1973年、TBS・ナショナル劇場)- 榊原伊織役
  • 『だいこんの花』シリーズ(1970年 - 1977年、NET)- 永山誠役
  • 『清水次郎長』(1971年、フジテレビ)- 主演
  • 『江戸を斬る 梓右近隠密帳』(1973年 - 1974年、TBS・ナショナル劇場)- 主演・梓右近役
  • 『鞍馬天狗』(1974年、日本テレビ)- 主演
  • 『岸辺のアルバム』(1977年、TBS)- 北川徹役(特別出演)
  • 『宮本武蔵』(1984年 - 1985年、NHK)- 柳生宗矩役
  • 『森繁久彌のおやじのヒゲ』シリーズ(1984年 - 1996年、TBS)- 大国昭伍役
  • 『水戸黄門』(TBS・ナショナル劇場)- 複数の部にゲスト出演
  • 『座頭市物語』(フジテレビ、主演:勝新太郎)- ゲスト出演
  • NHK大河ドラマ『国盗り物語』『元禄太平記』『峠の群像』

映画[編集]

  • 『しかも彼等は行く』(1960年、松竹)- 井上梅吉役(デビュー作)
  • 『男の影』(1964年)- 長谷川義夫役
  • 『アンコ椿は恋の花』(1965年)- 南修一役(初主演)
  • 『姿三四郎』(1970年、監督:渡辺邦男)- 姿三四郎役
  • 『人生劇場』(1972年)- 青成瓢吉役
  • 『花と竜』(1973年)- 玉井勝則役
  • 『五重塔』(2007年)- 老円上人役
  • 『次郎長三国志』(2008年)- 和田島の太左衛門役
  • 『ふうけもん』(2008年製作、2014年公開)- 遺作
  • 『大奥』(2010年)- 生前公開された最後の出演映画

司会・バラエティ[編集]

  • 『ヤング720』(1966年 - 1967年、TBS)- メイン司会
  • 『ためしてガッテン』(NHK)- ゲスト。魚のさばき方について持論を披露
  • 『笑っていいとも!』(2001年3月1日、フジテレビ)- ゲスト出演

代表作の解説[編集]

『三人家族』『二人の世界』[編集]

木下恵介がプロデュースしたTBSの「木下恵介アワー」は、日産自動車一社提供の30分連続ドラマ枠。『3人家族』は松竹で木下に師事していた山田太一の初の連続ドラマ単独脚本作で、横浜に住む青年・柴田雄一(竹脇)と稲葉敬子(栗原小巻)が通勤電車で互いに一目惚れし、弟や妹を通じて両家の交流が広がっていく物語だった。木下恵介アワーの中でも歴代トップの平均視聴率を記録したとされる。続く『二人の世界』では、出会ってすぐ結婚した夫婦が脱サラしてスナックを開く姿を描き、あおい輝彦が歌う主題歌もヒットした。

『姿三四郎』[編集]

富田常雄の柔道小説を原作に、明治の柔道家・姿三四郎の成長を描いた作品。竹脇は1970年に日本テレビの連続ドラマ版と映画版の両方で三四郎を演じた。このドラマは香港や中国大陸でも放送されて大きな反響を呼び、とくに文化大革命後の中国では『三人家族』とともに人気を集め、竹脇と栗原小巻のペアは中国のネット記事でいまも懐かしまれている。

『大岡越前』の榊原伊織[編集]

加藤剛が大岡忠相を演じたTBSナショナル劇場の名物時代劇(1970年 - 1999年、制作C.A.L)で、竹脇は第1部から第3部まで、忠相の親友で医師の榊原伊織を演じた。第1部では寺子屋を開いて町人の目線から忠相を支え、第2部では小石川養生所に勤めたのち医学修業のため長崎へ旅立ち、第3部で6年ぶりに江戸に戻ってくるという設定である。加藤とは作品の外でも40年以上の親友で、晩年まで交流が続いた。

『だいこんの花』[編集]

NET(現・テレビ朝日)で1970年から1977年まで全5部が作られたホームドラマ。森繁久彌が元巡洋艦艦長の頑固な父・永山忠臣、竹脇がその一人息子・誠を演じる。妻を亡くし男手一つで息子を育てた忠臣は、「だいこんの花のように、素朴で美しく、つつましい娘」を嫁にもらえと誠に言い続ける。脚本は途中から向田邦子が中心となり、明治生まれの父と戦後育ちの息子のすれ違いを笑いと涙で描いた。後半のシリーズにはいしだあゆみらも出演している。竹脇は主題歌「だいこんの花」も歌った。

『江戸を斬る 梓右近隠密帳』[編集]

TBSナショナル劇場(制作C.A.L)の時代劇『江戸を斬る』シリーズの第1部で、1973年9月から1974年3月まで放送された。竹脇が演じた梓右近は、双子の片割れとして命を救われ大久保彦左衛門に育てられたという出生の秘密を持つ柳生新陰流の剣士で、徳川家光の隠密として由井正雪の陰謀を探る。第2部以降は西郷輝彦主演の遠山金四郎ものに衣替えし、松坂慶子らが出演して長寿シリーズとなった。第1部は長らく再放送の機会が少なく、2014年からCSのTBSチャンネルで放送されたことがファンの間で話題になった。

人物・エピソード[編集]

父・竹脇昌作のこと[編集]

父の竹脇昌作は、パラマウントのニュース映画の解説やラジオ東京の生番組『東京ダイヤル』で人気を集めた、ナレーターの草分け的存在である。サビの利いた声と軽快な語り口は「マダムキラーボイス」とももてはやされた。無我の美声は明らかにこの父譲りで、ドラマでの落ち着いた台詞回しも「声の俳優」と評される理由になった。無我は父について、気の小さい人で、豪放な振る舞いはそれを隠すためだったのかもしれない、と振り返っている。

人柄[編集]

大の電話好きで、仲間に長電話をかけることで知られていた。プロレス好きとしても有名だった。共演者との関係を大切にするタイプで、森繁久彌を慕い、向田邦子の葬儀では弔辞を読んでいる。松竹の同期・田村正和、石原プロの後輩・神田正輝らとも長く付き合いが続いた。

うつ病を語った俳優[編集]

1990年代当時、人気俳優が自らのうつ病やアルコールへの依存を詳しく語ることは珍しかった。竹脇の著書には、死にたい衝動に駆られる毎日の中で、水槽の金魚に餌をやることを日課にして少しずつ生きる余裕を取り戻していった過程などが率直につづられている。タイトルに「うつ病になってよかった」と付けた本は、同じ病に苦しむ読者の支えになったという感想も多く、新聞のコラムで愛読書として紹介されたこともある。

評価[編集]

二枚目俳優としての評価はもちろん、ホームドラマと時代劇の両方で主演・助演を長くこなした「テレビ時代の看板俳優」として語られることが多い。木下恵介アワーで見せた等身大の青年、『だいこんの花』での父に振り回される息子、『岸辺のアルバム』での危うい男と、同じ声と顔でまったく違う役柄を演じ分けた点は、テレビドラマ史の中でも再評価が進んでいる。

2023年にねとらぼリサーチが行った「70代以上が選ぶ好きな石原軍団メンバー」の投票では、寺尾聰と並んで5位に入った。石原プロ在籍は数年間に過ぎないが、今なお「石原軍団の一員」として記憶している世代がいることがうかがえる。

余談[編集]

  • 「理想の夫」イメージが強かったからこそ、『岸辺のアルバム』の無言電話の男役は視聴者に衝撃を与えた。電話の向こうの声だけで誰だか分かってしまう、という配役そのものが仕掛けになっていたといえる。
  • 『だいこんの花』の主題歌のほか、1977年にはナレーション・アルバム『ねこ その素晴らしき世界』、1979年には「酔ってブラームス」なども発表しており、声の仕事も多い。
  • 『ためしてガッテン』出演時には魚の切り方についてこだわりを語っており、料理好きの一面も見せた。
  • 中国では『姿三四郎』と『三人家族』の人気から、栗原小巻とともに「金童玉女」(お似合いの美男美女)と称されたとされる。
  • お別れの会の葬儀委員長はイザワオフィス社長の井澤健が務めた。晩年の所属はアクターズ・セブン。

外部リンク[編集]

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