田村正和
たむら まさかず / Masakazu Tamura
Masakazu_Tamura1966.jpg
1966年の田村正和(出典:ウィキメディア・コモンズ、PD)
誕生日 1943年8月1日
死亡日 2021年4月3日
死亡年齢 77歳(数え年79)
出身地 京都府京都市右京区太秦(東京都世田谷区育ち)
国籍 日本
学歴 成城学園中学校・高等学校、成城大学経済学部卒業
ジャンル テレビドラマ、時代劇、映画、舞台
活動期間 1960年 - 2018年
デビューアルバム 1961年 映画『永遠の人』(木下惠介監督、正式デビュー)
家族 父:阪東妻三郎(俳優)、兄:田村高廣(俳優)、田村俊磨(一般人)、弟:田村亮(俳優)、妻:一般人女性(1970年結婚)、娘
事務所 新和事務所(最終所属・個人事務所)
代表作 『眠狂四郎』『鳴門秘帖』『うちの子にかぎって…』『パパはニュースキャスター』『ニューヨーク恋物語』『古畑任三郎』『協奏曲』『総理と呼ばないで』『さよなら、小津先生』『そうか、もう君はいないのか』『眠狂四郎 The Final』
関連活動 舞台『乾いて候』シリーズ、CM出演多数
あだ名 日本のアラン・ドロン、俳優貴族
その他 モンテカルロ・テレビ祭最優秀男優賞(2009年)、ザテレビジョンドラマアカデミー賞主演男優賞ほか


概要[編集]

田村正和(たむら まさかず、1943年8月1日 - 2021年4月3日)とは、京都市出身の俳優である。剣戟スター・阪東妻三郎の三男で、兄の田村高廣、弟の田村亮とともに「田村三兄弟」と呼ばれた。時代劇『眠狂四郎』で人気を得たのち、『パパはニュースキャスター』などのコメディ、そしてドラマ『古畑任三郎』で一時代を築いた。生涯「テレビ俳優」を自任し、私生活をほとんど見せないダンディな美学を貫いた。

詳細[編集]

阪妻の三男に生まれて[編集]

田村正和は1943年8月1日、京都・太秦に生まれた。父は「阪妻(バンツマ)」の愛称で知られる戦前・戦後の大スター、阪東妻三郎。太秦は日本映画の撮影所が集まる「日本のハリウッド」で、正和はまさに映画の町の真ん中で育ったことになる。

ところが1953年、正和が小学4年生のときに父が急逝する。翌年、一家は東京の世田谷へ移り、正和は成城学園中学校・高等学校から成城大学経済学部へ進んだ。長兄の田村高廣、弟の田村亮も俳優になり、次兄の田村俊磨だけは一般人として生きた。異母弟には水上保広がいる。

ジェームズ・ディーンに憧れた若手[編集]

俳優としての第一歩は1960年。兄・高廣が主演した『旗本愚連隊』に端役で出演したのが最初である。翌1961年に松竹大船と専属契約を結び、木下惠介監督の『永遠の人』で正式デビューした。1965年の『この声なき叫び』で初の単独主演を果たしている。

松竹の同期・岡崎二朗によれば、若い頃の正和はジェームズ・ディーンに憧れていたという。好きな俳優としてはマーロン・ブランドの名を挙げており、繊細で陰のある二枚目というのちのイメージの原点がうかがえる。1960年代後半から70年代にかけては、その甘いマスクから「日本のアラン・ドロン」とも呼ばれた。

「テレビに育てられたテレビ俳優」[編集]

田村正和のキャリアを特徴づけるのは、映画スターの家に生まれながら、主戦場をほぼ一貫してテレビに置いたことだ。1979年の映画『日本の黒幕』から1993年の『子連れ狼 その小さき手に』までの約14年間、映画には一本も出ていない。その後も映画出演は『ラストラブ』(2007年)などごくわずかである。

本人は自らを「テレビに育てられたテレビ俳優」と語っていた。1970年代は時代劇とメロドラマ、1980年代はホームコメディとトレンディドラマ、1990年代以降は『古畑任三郎』とホームドラマ、晩年は松本清張ものと、テレビドラマの流行の移り変わりにぴたりと寄り添いながら、半世紀近く主演級であり続けた。

二枚目から三枚目へ[編集]

転機は1984年のTBSドラマ『うちの子にかぎって…』だった。それまでニヒルな剣士や悲恋の主人公が当たり役だった田村が、小学校の新米教師としてクラスの子どもたちに振り回される三枚目を演じ、大ヒットさせたのだ。プロデューサーの八木康夫が直談判し、田村は作品の雰囲気に惹かれて出演を承諾したという。

これを機に『子供が見てるでしょ!』『パパはニュースキャスター』『パパは年中苦労する』と、クールな見た目のまま慌てふためく「二枚目半」路線が定着した。カッコつけた男が子どもや家族にペースを乱される落差こそが、田村コメディの真骨頂である。

経歴[編集]

1960年代:松竹デビューと大河ドラマ[編集]

1960年に端役で初出演し、1961年に松竹専属として『永遠の人』で正式デビュー。テレビでは1963年のNHK大河ドラマ第1作『花の生涯』に出演し、以後1972年の『新・平家物語』(崇徳天皇役)まで5作の大河ドラマに出演した。大河への出演はこれが最後となっている。

1966年に松竹を離れてフリーとなり、同年のテレビ時代劇『新吾十番勝負』で初主演。1969年には映画『眠狂四郎 卍斬り』にも出演し、のちの当たり役との縁が生まれた。

1970年代:眠狂四郎と「俳優貴族」[編集]

1970年、映画『おんな牢秘図』で時代劇に主演。同年のTBS『冬の旅』(木下恵介・人間の歌シリーズ)で人気に火がついた。なお『冬の旅』は田村本人が再放送を許可しなかったため、再放送が実現していない作品として知られる。

1972年、関西テレビ制作の時代劇『眠狂四郎』で主演。柴田錬三郎原作の、虚無をまとった孤高の剣士・狂四郎は、市川雷蔵の映画版と並ぶ当たり役となり、茶の間での人気を決定づけた。続いて『運命峠』(1974年)、NHK金曜ドラマ『鳴門秘帖』(1977年)、『若さま侍捕物帳』(1978年)と時代劇の主演が続く。1977年にはフジテレビ版『砂の器』で和賀英良を演じた。

時代劇と並行してメロドラマでも人気を集め、1970〜80年代には浮世離れした気品から「俳優貴族」と呼ばれた。

1980年代:ホームコメディとトレンディドラマ[編集]

1980年代前半は『離婚ともだち』(1980年)、『夏に恋する女たち』(1983年)などの大人の恋愛ドラマや、テレビ朝日版『松本清張の黒革の手帖』(1982年)などのサスペンスで活躍した。

1984年の『うちの子にかぎって…』の大ヒット以降は、『子供が見てるでしょ!』(1985年)、フジテレビ『男の家庭科』(1985年)を経て、1987年の『パパはニュースキャスター』で人気が頂点に達する。看板キャスター・鏡竜太郎のもとに、ある日突然「パパ」と名乗る3人の娘が押しかけてくるというドタバタ劇で、のちに1989年・1994年とスペシャル版も作られた。

1988年にはフジテレビの『ニューヨーク恋物語』で、全編ニューヨークロケの大人のラブストーリーに主演。田村はこの撮影のために夫人を現地に呼び、約3か月間ニューヨークで暮らした。演じた田島雅之は本人のお気に入りの役で、1990年に『ニューヨーク恋物語II 男と女』、2004年に『新ニューヨーク恋物語』が作られている。

1990年代:古畑任三郎の時代[編集]

1990年の年末時代劇『勝海舟』(日本テレビ)では主演だったが、病気のため途中降板し、弟の田村亮が代役を務めた。1991年『パパとなっちゃん』、1992年『ティファニーで朝食を』、1993年『ローマの休日』とTBSで主演を重ね、同年には『日曜劇場』枠の『カミさんの悪口』に主演している。

1994年、三谷幸喜脚本の『警部補・古畑任三郎』がフジテレビで始まる。以後2006年のファイナルまで続くシリーズは、田村の代名詞となった(詳細は後述)。同時期には『協奏曲』(1996年)、首相役を演じた『総理と呼ばないで』(1997年、三谷幸喜脚本)、『じんべえ』(1998年)、『美しい人』(1999年)とヒット作に主演し続けた。

2000年代:父親像と大人のドラマ[編集]

2000年の『オヤジぃ。』、2001年の『さよなら、小津先生』では、時代遅れで不器用な父親や元エリート教師を演じ、新たな魅力を見せた。2002年には『明智小五郎対怪人二十面相』で明智小五郎に扮している。

2007年には映画『ラストラブ』で約14年ぶりにスクリーンに戻り、サックス奏者を演じた。2009年のTBS『そうか、もう君はいないのか』では、作家・城山三郎(本名・杉浦英一)をモデルに亡き妻を想う夫を演じ、モンテカルロ・テレビ祭で最優秀男優賞を受賞した。

2010年代:松本清張と最後の狂四郎[編集]

2010年、テレビ朝日『忠臣蔵〜その男、大石内蔵助』で大石内蔵助を演じ、全編で中剃りのカツラを着けた。同年の『樅ノ木は残った』では原田甲斐を演じている。以降は仕事を絞り、2011年の『告発〜国選弁護人』を最後に連続ドラマからは離れた。

その後は年1本程度のペースで単発ドラマに主演し、とくに松本清張原作では『疑惑』(2009年)、『球形の荒野』(2010年)、『十万分の一の偶然』(2012年)、『三億円事件』(2014年)、『地方紙を買う女』(2016年)と主演が続いた。

そして2018年、フジテレビ系のドラマ『眠狂四郎 The Final』で、70代にして再び狂四郎を演じた。撮影は東映京都撮影所で行われた。父・阪妻ゆかりの地に建つ撮影所であり、若き日の当たり役で生まれ故郷の太秦に戻ってきたことになる。これが生前最後の出演作となった。

2018年:引退報道[編集]

『眠狂四郎 The Final』の放送前の試写を見た田村は「これではダメだ」と感じたといい、2018年4月発売の『FRIDAY』の取材で、オンエアを見る気になれなかったと語った。この発言が「引退宣言」として報じられた。翌2019年には俳優業について「もう十分やってきた」と語っている。

一方で弟の田村亮によれば、本人には俳優を引退するという明確なつもりはなく、体調の問題もあって結果的に新しい作品に出られなかったようだという。また、『The Final』のあと柴田錬三郎の娘に送った手紙には「おそらくもう仕事はこれが最後になると思う」と書かれていたとされる。

2021年:死去[編集]

2021年2月、風邪をこじらせて検査入院し、その後はリハビリ中と伝えられていた。同年4月3日16時20分、東京都港区の病院で心不全のため死去した。77歳(享年79)だった。戒名は深達院和光日正大居士。

死去はごく近い関係者にも伏せられ、マネージャーでさえ知らされたのは公表の1週間前だったという。訃報が広く報じられたのは、亡くなってから1か月半後の5月18日のことである。最後まで私生活を見せなかった田村らしい幕引きとして、多くのファンに受け止められた。

古畑任三郎[編集]

誕生まで[編集]

『古畑任三郎』は、三谷幸喜が米国ドラマ『刑事コロンボ』を日本でやったらどうなるかという発想から生まれた作品である。三谷は最初から田村をイメージし、田村のために脚本を書いた。ところが田村は当初、「刑事ドラマには出ない」という方針から出演を断っている。しかし三谷の説明を聞き、完成した脚本を読んで、知性とユーモアがあって面白いと感じて出演を決めた。

初期には、手違いで改稿前の台本が田村の手元に届き、田村がすでにそのセリフを覚えてしまっていたことがあった。三谷は田村のセリフはそのまま残し、ほかの俳優のセリフを書き換えて辻褄を合わせたという。田村はのちに、このやり方がパズルのようで大いに楽しかったと振り返っている。

作品の仕組み[編集]

物語は「倒叙形式」で、冒頭でまず犯人と犯行が描かれ、視聴者は最初から犯人を知っている。そのうえで古畑がわずかな矛盾からアリバイを崩し、犯人を追い詰めて自白に導く過程を楽しむ構成である。犯人役には毎回豪華なゲストが起用され、第1回の中森明菜をはじめ、明石家さんま、大地真央、福山雅治、木村拓哉、SMAPの5人、メジャーリーガーのイチロー(本人役)、松嶋菜々子らが顔をそろえた。

解決編の直前には画面が暗転し、スポットライトの中で古畑がカメラに向かって視聴者に語りかけ、謎解きのヒントを出す。『エラリー・クイーン』へのオマージュとされる、シリーズ屈指の名物演出だ。番組の最後に流れる「この事件は創作であり、古畑任三郎は架空の刑事です。」という断り書きも定番となった。

古畑というキャラクター[編集]

田村が作り上げた古畑任三郎は、黒ずくめの服装にノーネクタイ、自転車で現場に現れる警部補である。物腰は丁寧だが嫌味っぽく、いたずら好きで負けず嫌い。部下の今泉慎太郎(西村雅彦)の額をはたいたり、ぞんざいに扱ったりする掛け合いも人気を呼んだ。独特の間とねっとりした語り口は、数多くのパロディやものまねの題材になった。

田村はこの役について、セリフが多く、ほかの作品の数倍の労力がかかると話していた。三谷はどんどん無茶な場面を書くようになり、頭にストッキングをかぶってタバコを吸うシーンまで登場したが、プロデューサーの心配をよそに田村は平然と演じたという。1999年のインタビューで古畑の好きなところを聞かれた田村は、「可愛さ」と答えている。

シリーズの歩み[編集]

  • 1994年:第1シーズン『警部補・古畑任三郎』
  • 1995年:スペシャル「笑うカンガルー」
  • 1996年:第2シーズン
  • 1999年:第3シーズン、スペシャル「古畑任三郎vsSMAP」
  • 2004年:スペシャル「すべて閣下の仕業」
  • 2006年:『古畑任三郎ファイナル』3部作(「今、甦る死」「フェアな殺人者」「ラスト・ダンス」)
  • 2008年:『古畑中学生』(特別出演)

第1シーズンの平均視聴率は14.2%ほどだったが、再放送で人気が広がり、第2シーズン以降は20%を超えた。第2シーズン最終話「しばしのお別れ」の34.4%がシリーズ最高とされる。全42作で、2006年のファイナルをもって12年の歴史に幕を下ろした。田村の没後、三谷は田村なしに古畑が再び画面に戻ることはないという趣旨のコメントを出している。

主な出演作[編集]

テレビドラマ[編集]

年 作品 放送局 役名・備考
1970年 冬の旅 TBS 木下恵介・人間の歌シリーズ
1972年 新・平家物語 NHK 崇徳天皇。最後の大河ドラマ出演
1972年 眠狂四郎 関西テレビ 眠狂四郎。主演
1974年 運命峠 関西テレビ 秋月六郎太。主演
1977年 鳴門秘帖 NHK 法月弦之丞。主演
1977年 砂の器 フジテレビ 和賀英良
1978年 若さま侍捕物帳 テレビ朝日 若さま。主演
1979年 赤穂浪士 テレビ朝日 堀田隼人
1982年 松本清張の黒革の手帖 テレビ朝日 安島富夫
1984年 うちの子にかぎって… TBS 石橋徹。主演
1985年 子供が見てるでしょ! TBS 小田切剛。主演
1987年 パパはニュースキャスター TBS 鏡竜太郎。主演
1988年 パパは年中苦労する TBS 巽耕作。主演
1988年 ニューヨーク恋物語 フジテレビ 田島雅之。主演
1989年 過ぎし日のセレナーデ フジテレビ 榊隆之。主演
1993年 カミさんの悪口 TBS 主演(日曜劇場)
1994年 - 2006年 古畑任三郎シリーズ フジテレビ 古畑任三郎。主演
1996年 協奏曲 TBS 海老沢孝介。主演
1997年 総理と呼ばないで フジテレビ 内閣総理大臣。主演
1998年 じんべえ フジテレビ 高梨陣平。主演
1999年 美しい人 TBS 岬京助。主演
2000年 オヤジぃ。 TBS 神崎完一。主演
2001年 さよなら、小津先生 フジテレビ 小津南兵。主演
2002年 明智小五郎対怪人二十面相 TBS 明智小五郎。主演
2004年 新ニューヨーク恋物語 フジテレビ 田島雅之。主演
2009年 そうか、もう君はいないのか TBS 城山三郎(杉浦英一)。主演
2010年 忠臣蔵〜その男、大石内蔵助 テレビ朝日 大石内蔵助。主演
2010年 球形の荒野 フジテレビ 野上顕一郎。主演
2011年 告発〜国選弁護人 テレビ朝日 佐原弁護士。最後の連続ドラマ
2012年 十万分の一の偶然 テレビ朝日 山内正平。主演
2014年 三億円事件 テレビ朝日 武田秀哉。主演
2016年 地方紙を買う女 テレビ朝日 杉本隆治。主演
2018年 眠狂四郎 The Final フジテレビ 眠狂四郎。生前最後の出演作

映画[編集]

  • 1960年『旗本愚連隊』 - 端役で初出演
  • 1961年『永遠の人』(木下惠介監督) - 正式デビュー
  • 1965年『この声なき叫び』 - 初の単独主演
  • 1969年『眠狂四郎 卍斬り』
  • 1970年『おんな牢秘図』
  • 1979年『日本の黒幕』
  • 1993年『子連れ狼 その小さき手に』 - 約14年ぶりの映画出演。拝一刀役
  • 2007年『ラストラブ』 - 約14年ぶりの映画出演

舞台[編集]

  • 『乾いて候』シリーズ(1987年 - 1993年ほか)
  • 『新・乾いて候』(2005年) - これ以降、舞台には立っていない

CM[編集]

CMにも数多く出演した。兄・高廣、弟・亮との三兄弟共演が話題になった小西酒造の清酒「白雪」、「大関の田村です」のフレーズで知られる大関「ワンカップ大関」、大塚食品「ボンカレー」、東京ガス「マサにガスだね」、ソニー・コンピュータエンタテインメントのプレイステーション(トロと共演)、NTTドコモ、サッポロビール「麦とホップ」などがある。

受賞歴[編集]

  • 1994年 第1回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演男優賞・ベストドレッサー賞(『警部補・古畑任三郎』。主演男優賞は辞退したとの記述もある)
  • 1996年 第8回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演男優賞
  • 2001年 第31回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演男優賞(『さよなら、小津先生』)
  • 2007年 第10回みうらじゅん賞(『ラストラブ』)
  • 2009年 第49回モンテカルロ・テレビ祭 最優秀男優賞(『そうか、もう君はいないのか』)

家族[編集]

父・阪東妻三郎[編集]

父の阪東妻三郎(1901年 - 1953年)は、無声映画時代から活躍した剣戟映画の大スターで、「阪妻」の愛称で親しまれた。正和が小学4年生のときに亡くなっているため、父と過ごした時間は長くない。それでも正和は時代劇の殺陣に強いこだわりを持ち、晩年の『眠狂四郎 The Final』を父ゆかりの京都・太秦で撮ったことは、ひとつの因縁として語られた。

田村三兄弟[編集]

長兄の田村高廣は映画『泥の河』などで知られる名優で、正和のデビュー作『旗本愚連隊』の主演でもあった。四男の田村亮も俳優で、1990年に正和が『勝海舟』を病気で降板した際には代役を務めている。高廣・正和・亮の3人は「田村三兄弟」として親しまれ、清酒「白雪」のCMで三兄弟共演も果たした。次兄の田村俊磨は芸能界に入らず、一般人として生活している。

妻と娘[編集]

1970年9月に一般人の女性と結婚した。妻との間には娘がおり、娘の夫は宮田慶三郎の孫・宮田順次である。妻や娘が表に出ることはほとんどなく、田村自身も家族について多くを語らなかった。数少ない例外が『ニューヨーク恋物語』の撮影で、約3か月のニューヨークロケ中は夫人を呼び寄せて現地で一緒に暮らした。

人物・エピソード[編集]

私生活を見せない美学[編集]

田村は「俳優は白いキャンバスのようであるべきで、私生活を知られすぎるのはマイナスになる」という考えを持っていた。私生活を語ることは少なく、人前では食事もしなかったという。その徹底ぶりは、死去の公表が1か月半遅れたことにまで表れている。

アルマーニの服を好み、髪は専属の美容師を自宅に呼んで切ってもらっていた。自宅の台所には立たなかったとされる。ダンディを地で行く「俳優貴族」のイメージは、こうした積み重ねで作られたものだ。

プロ意識[編集]

NGをほとんど出さないことで有名で、「同じセリフは2度言いたくない」と語っていた。撮影映像を現場で確認できるようになってからは、1シーンごとに自分でチェックした。後年は撮影時間を朝8時から夜22時までと厳守し、一つの役にじっくり取り組むため掛け持ち出演をなるべく避けた。撮影現場には「田村チェア」と呼ばれる自前のデッキチェアを持ち込んでいた。

役作りへの姿勢も独特で、「自分からこういう役がやりたいと要望するのではなく、スタッフにこういう役をやらせたいと言われる役者でいたい」と話していた。舞台については「ある種の修行」と位置づけ、生身の姿を観客に見せることで成長できると考えていた。

殺陣へのこだわり[編集]

殺陣が好きで、その基礎はバスケットボールと梅若流の能だと話していた。殺陣はリアルさよりも、嘘でいいから見栄えが良く夢があればいいというのが持論で、時代劇は「それなりのウソ」が許されるから好きだとも語っている。監督の中島貞夫は、田村が斬り終えたあとの「残心」を大切にしていたと回想した。

趣味と素顔[編集]

趣味はゴルフ、音楽鑑賞、時代小説の読書、映画鑑賞で、ロバート・デ・ニーロの出演作を好んだ。演じてみたい人物として織田信長を挙げたこともある。1970年代からの読売ジャイアンツファンで、F1観戦のためにサーキットへ足を運ぶほどのカーマニアでもあった。

毎日30〜60分ほど散歩をするのが日課で、『ブラタモリ』が好きで江戸の古地図を手に歩くこともあった。近所に住む美術家の横尾忠則とは、舞台美術の仕事を通じて知り合い、散歩中によく立ち話をする仲だったという。マネージャーによれば、シャイだが誰とでも気さくに話し、カメラが回っていないところでは京都出身らしく関西弁で話していた。

柴田錬三郎との絆[編集]

『眠狂四郎』の原作者・柴田錬三郎には息子のように可愛がられ、家族ぐるみで付き合った。柴田は田村を最高の狂四郎役者と評し、狂四郎の愛刀と同じ名の「無双正宗」を田村に贈っている。柴田の葬儀で田村は人目もはばからず泣きじゃくったと回想している。

没後の動向[編集]

追悼放送(2021年)[編集]

訃報を受け、フジテレビは2021年5月20日・21日に『古畑任三郎ファイナル』から、イチローが犯人役の「フェアな殺人者」と松嶋菜々子が犯人役の「ラスト・ダンス」を追悼放送した。視聴者から再放送を望む声が相次いだため、6月3日から9日には関東ローカルの『メディアミックスα』枠で「傑作選」5本(「汚れた王将」「殺人特急」「VS クイズ王」「ニューヨークでの出来事」「再会」)が急きょ放送された。テレビ朝日も5月23日に松本清張原作の『疑惑』(2009年版)を追悼放送している。

放送30周年(2024年)[編集]

2024年は『古畑任三郎』の放送開始から30周年にあたり、フジテレビは5月24日から関東ローカルの「ハッピーアワー」枠でシリーズを再放送した。ネットでは「二代目古畑は誰が演じるべきか」という話題も盛り上がった。同年にはTVerでも一部エピソードが配信されたが、再放送の一部回では出演者の写真がぼかされたり黒塗りになったりする場面があり、話題を呼んだ。

Netflix配信と再ブーム(2026年)[編集]

2026年6月1日、Netflixで『古畑任三郎』第1〜3シーズンの配信が始まり、すぐにランキング上位に入った。リアルタイムで見ていなかった若い世代が「推し回」や豆知識をSNSに投稿するなど、放送から30年以上たって新たなファン層が生まれている。ただし木村拓哉が犯人役を演じた第2シーズンの「赤か、青か」など一部のエピソードは配信に含まれておらず、その理由は公表されていない。

新しい眠狂四郎(2026年)[編集]

2026年3月24日には、NHK総合のスペシャル時代劇として、長谷川博己主演の新しい『眠狂四郎』が放送された。NHKと東映京都撮影所の制作で、田村が最後に狂四郎を演じた京都の撮影所から、新たな狂四郎が生まれたことになる。

評価[編集]

田村正和の魅力は、二枚目の格好よさと、その格好よさを自分で笑ってみせる軽みが同居していた点にある。『眠狂四郎』のニヒルな剣士と、『パパはニュースキャスター』の慌てふためく父親、そして両者の要素をあわせ持つ古畑任三郎。どの役にも共通するのは、ゆったりした独特の口調と間、指先まで神経の行き届いた所作だった。

訃報の際には、渋く冷めた役から喜劇的な役まで幅広く演じた俳優として紹介された。共演者からも追悼の言葉が相次ぎ、今泉役の西村雅彦は古畑での共演を自身の「飛躍の大きなきっかけ」と振り返った。『眠狂四郎 The Final』の山下智彦監督は、田村があの作品で時代劇と京都に別れを告げるつもりだったのではないかと回想している。

余談[編集]

  • デビュー作『旗本愚連隊』の主演は兄の田村高廣。兄弟共演から俳優人生が始まった。
  • 『子連れ狼 その小さき手に』の撮影では、大五郎役の子役が田村の迫真の演技を怖がって泣き出してしまい、田村がミッキーマウスのお面をかぶってなだめたという。
  • 『過ぎし日のセレナーデ』では68歳の役を演じるため、メイクに2時間以上かけた。本人はハゲ頭にする案も出したが、製作陣に却下された。
  • 『新ニューヨーク恋物語』の撮影中、『刑事コロンボ』のピーター・フォークと同じ場所に居合わせたことを面白がっていた。古畑のモデルとなった刑事を演じた本人である。
  • 三谷幸喜からは古畑の舞台化も提案されたが、観客の前で古畑のような多弁な役を演じるのは難しいとして乗り気ではなかった。
  • 子どもは苦手だが、犬にはなぜか好かれると話していた。好きなものはビールとソフトクリーム。
  • パソコンには疎かったが、古書店主の勧めでiPadを使いこなしていた。
  • 生前に自分の墓を建てていた(寿陵)。

外部リンク[編集]

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