| 南極物語 ANTARCTICA | |
|---|---|
| 監督 | 蔵原惟繕 |
| 製作 | 古岡滉、鹿内春雄、蔵原惟繕(製作総指揮:日枝久) |
| 脚本 | 野上龍雄、佐治乾、石堂淑朗、蔵原惟繕 |
| 原作 | 第1次南極地域観測隊の樺太犬をめぐる実話(オリジナル脚本) |
| 出演 | 高倉健、渡瀬恒彦、夏目雅子、荻野目慶子、岡田英次、神山繁、山村聡、日下武史、江藤潤、佐藤浩市、岸田森 |
| 撮影 | 椎塚彰 |
| 音楽 | ヴァンゲリス |
| ジャンル | ドラマ、動物、冒険 |
| 撮影期間 | 足かけ3年以上(北極圏カナダ・南極・北海道ほか) |
| 制作会社 | 南極物語製作委員会(フジテレビ、学習研究社、蔵原プロダクション) |
| 配給 | 日本ヘラルド映画、東宝 |
| フォーマット | 35mmフィルム |
| 劇場公開 | 1983年7月23日 |
| 上映時間 | 143分(米国版112分) |
| 興行収入 | 約110億円(配給収入約59億円、観客動員約1200万人) |
| 言語 | 日本語 |
概要[編集]
南極物語(なんきょくものがたり/英題:ANTARCTICA)とは、1983年7月23日に公開された蔵原惟繕監督、高倉健主演の日本映画である。第1次南極地域観測隊が昭和基地に置き去りにせざるを得なかった15頭の樺太犬と、1年後に生存が確認された兄弟犬タロとジロの実話をもとに、人間側の悔恨と犬たちのサバイバルを並行して描く。フジテレビが本格的に製作した大作映画で、配給収入約59億円・観客動員約1200万人という当時の日本映画歴代最高記録を打ち立てた。
詳細[編集]
テレビ局映画の先駆け[編集]
企画の出発点は、監督の蔵原惟繕と兄でプロデューサーの蔵原惟二が長年あたためていた「タロ・ジロ」の映画化構想だった。蔵原が手がけた動物ドキュメンタリー『キタキツネ物語』がフジテレビで放送されて44.4%という高視聴率を記録したことで、フジテレビ側が乗り気になり、当初のテレビシリーズ案が劇場映画へと発展したとされる。製作は南極物語製作委員会で、フジテレビに加えて学習研究社(学研)が製作費の半分を負担した。製作総指揮には、のちにフジテレビの会長となる日枝久が名を連ねている。テレビ局が自社の電波で大々的に宣伝し、大ヒットに結びつけるという手法は、のちの「テレビ局映画」の原型ともいわれる。
記録的な大ヒット[編集]
公開されると老若男女が劇場に詰めかけ、観客動員は約1200万人に達した。配給収入は約59億円(後年の資料では約61億円とするものもある)、興行収入は約110億円とされる。これは黒澤明監督『影武者』(1980年)が持っていた日本映画の配給収入記録を塗り替えるもので、1997年に宮崎駿監督の『もののけ姫』に抜かれるまで、14年にわたって邦画の歴代1位に君臨した。実写邦画に限れば、2003年の『踊る大捜査線 THE MOVIE 2』まで首位の座を守ったとされる。前売り券だけで約240万枚(350万枚とする資料もある)が売れており、文部省特選にも指定されたことから学校や家族単位での鑑賞も多かった。
北極で南極を撮る[編集]
タイトルは「南極」だが、撮影の大部分は北極圏のカナダ・レゾリュートで行われた。南極本土での撮影は少人数のクルーによる約2か月間に限られ、ほかに京都、稚内、東京、紋別などでもロケが組まれた。製作期間は足かけ3年以上、スタッフが移動した距離は空路だけで約14万キロ、地球を約3周半する計算になるという。本物の南極ロケを敢行した日本映画として、また初めて本物のオーロラを劇映画に収めた作品として宣伝された。
あらすじ[編集]
1956年11月、敗戦から立ち直りつつあった日本は、南極観測船「宗谷」で第1次南極地域観測隊を送り出す。南極の東オングル島に建設された昭和基地では11人の隊員が初の越冬に挑み、輸送や調査の足として北海道・稚内で訓練された樺太犬たちが犬ぞりを引いた。地質学者で犬係の潮田暁(高倉健)と、京都大学の研究者で同じく犬係の越智健二郎(渡瀬恒彦)は、厳しくも愛情を込めて犬たちを育てていく。
1958年2月、越冬を終えた第1次隊は第2次隊と交代するはずだったが、悪天候と厚い氷に阻まれて宗谷は基地に近づけない。隊員は小型機でかろうじて撤収したものの、再上陸の見込みは立たず、第2次越冬は中止に。鎖につながれたままの15頭の犬は、無人の昭和基地に置き去りにされてしまう。
帰国した潮田は、犬を提供してくれた飼い主たちのもとを謝罪して回るが、愛犬リキを託した少女・志村麻子(荻野目慶子)は代わりの子犬を受け取ろうとしない。一方、南極では犬たちが首輪を抜け、アザラシを狩り、氷の割れ目に落ち、シャチに襲われ、オーロラにおびえながら、1頭また1頭と姿を消していく。
1年後、潮田と越智は第3次越冬隊に志願して再び南極へ。鎖につながれたまま息絶えた犬たちを前に打ちひしがれる2人の目に、遠くから駆け寄ってくる2頭の黒い犬の姿が映る。それはタロとジロだった。
登場人物とキャスト[編集]
人間側[編集]
- 潮田暁(高倉健):第1次越冬隊員。地質学者で犬係。犬を置き去りにした自責の念にさいなまれ、第3次隊に志願する。
- 越智健二郎(渡瀬恒彦):京都大学の研究者で犬係。犬たちに厳しい訓練を課す熱血漢。
- 北沢慶子(夏目雅子):越智の婚約者。南極から戻った越智を支える。
- 志村麻子(荻野目慶子):樺太犬リキの飼い主の少女。登場は3シーンほどだが強い印象を残す。荻野目はイメージソング「愛のオーロラ」も歌い、キャンペーンガールを務めたとされる。
- 第1次越冬隊長(岡田英次)、第2次越冬隊長・堀込(神山繁)、宗谷の岩切船長(山村聡)、北海道大学教授(日下武史)
- 第2次隊の犬係・徳光(江藤潤)、戸田(佐藤浩市)
- 喫茶店のマスター(岸田森):1982年に亡くなった岸田にとって、公開された最後の映画出演となった。
- 稚内市長(当時)の浜森辰雄が本人役で特別出演している。
犬たち[編集]
劇中に登場する主な犬と、作中で描かれる運命は以下のとおり(あくまで映画上の脚色を含む)。
- タロ、ジロ:兄弟犬。ともに生き延び、潮田たちと再会する。
- リキ:群れのリーダー。タロとジロをシャチから守って命を落とす。
- アンコ:最初に首輪を抜けた犬。アザラシに海中へ引きずり込まれる。
- デリー:氷の割れ目から海に落ちて消える。
- ジャック:オーロラにおびえて走り去り、行方不明に。
- シロ(オス):クジラの死骸のそばで孤独に死ぬ。
- 風連のクマ:タロとジロの父犬で、最も長く生き延びる。
- ゴロ、ペス、モク、アカ、クロ、ポチ:鎖につながれたまま絶命する。
制作[編集]
キャスティング[編集]
主演の高倉健は当初オファーに消極的で、出演を承諾したのは製作発表の前日だったとされる。高倉が演じた潮田は「犬を置き去りにした男」として映画全体の罪悪感を背負う役回りで、セリフを抑えた演技が光る。東映を離れて独立後の高倉にとって、『八甲田山』『幸福の黄色いハンカチ』に続く大作路線の代表作の一つとなった。相手役の渡瀬恒彦、夏目雅子はこの年いずれも話題作に出演が続いていた時期で、夏目は同年『時代屋の女房』『魚影の群れ』にも出演している。
犬のキャスティング[編集]
樺太犬はすでに数が激減して純血種の確保が難しかったため、撮影にはカナダのエスキモー犬(カナディアン・エスキモー・ドッグ)が使われた。スタッフは北極圏で約800頭の犬を「面接」し、そのうち22頭を入手、性格などを見て15頭を選抜したという。蔵原監督は犬に芝居を仕込むのではなく、自然な動きを長時間撮影して編集で物語を組み立てる手法をとり、犬だけの撮影素材は約120時間に及んだとされる。ドッグトレーナーは宮忠臣が務め、獣医も撮影に同行した。
過酷なロケ[編集]
撮影現場は文字どおり命がけだった。高倉は昭和基地のセット近くで吹雪に巻かれて道に迷い、さらに南極ロケでは監督・カメラマンとともにクレバス近くでテントを吹き飛ばされ、寝袋のまま約4時間耐えたというエピソードが伝わっている。蔵原監督も南極撮影に向かう航海中に転倒して肋骨を3本折った。また、ラストの再会シーンは当初北海道で撮る予定だったが、暖冬で流氷が来なかったため、再び北極圏に戻って撮影し直したという。わずか2分ほどの場面のための大移動だった。
監修と協力[編集]
監修には第9次南極観測隊長で日本人として初めて南極点に到達した村山雅美が、資料協力には第1次越冬隊長の西堀栄三郎、実際の犬係だった菊池徹と北村泰一が名を連ねた。協賛企業にはライオン、三菱自動車、学研グループ、産経新聞などフジサンケイグループ各社が並び、グループ総出の一大プロジェクトだった。
音楽[編集]
音楽はギリシャ出身の電子音楽家ヴァンゲリスが担当した。ヴァンゲリスは前年の1982年に『炎のランナー』でアカデミー作曲賞を受賞し、世界的に注目されていた時期である。スコアはロンドンにある自身のスタジオで制作・演奏され、サウンドトラックアルバム『ANTARCTICA』としてポリドールから世界発売された。収録曲は「Theme from Antarctica」「Song of White」「Memory of Antarctica」など全8曲で、エンディングに流れる「Deliverance」は特に人気が高い。シンセサイザーによる荘厳で冷たい響きは、氷原の映像と見事に重なり、のちの自然ドキュメンタリーやテレビ番組でも頻繁にBGMとして使われるようになった。第7回日本アカデミー賞では音楽賞の優秀賞に選ばれている。
評価・反響[編集]
受賞歴[編集]
- 第7回日本アカデミー賞:優秀作品賞、優秀音楽賞(ヴァンゲリス)、優秀撮影賞(椎塚彰)、優秀照明賞(川島晴雄)、話題賞(タロとジロ役の犬たち)
- 毎日映画コンクール:撮影賞ほか
- 第1回ゴールデングロス賞:最優秀金賞、マネーメイキング監督賞
- 第56回アカデミー賞外国語映画賞の日本代表作品に選出(ノミネートはされず)
- 第34回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品
海外での公開[編集]
海外では英題『ANTARCTICA』として、アメリカやオーストラリアで112分に短縮された英語版がビデオ化され、イタリア語版、フランス語版も作られた。フランスでは1985年に劇場公開され、約54万人を動員したとされる。
テレビ放送[編集]
テレビ初放送は1984年10月5日・6日の2夜連続で、劇場版にない未公開シーンを加えた約180分の特別版だった。解説は高島忠夫が務めた。2014年11月10日に高倉健が亡くなると、同月21日にはデジタルリマスター版が追悼放送された。さらに公開40周年の2023年5月13日には、フジテレビの関東ローカル枠でデジタルリマスター版が放送されている。
撮影時の動物の扱いをめぐる議論[編集]
動物映画の宿命として、本作には「撮影で犬たちは無事だったのか」という疑問が繰り返し投げかけられてきた。
製作側の説明では、撮影中に死んだ犬はおらず、大きな事故もなかったとされる。犬が倒れて死ぬ場面は麻酔薬で眠らせて撮影し、首輪抜けの場面は空腹の状態で餌を目の前に置いて撮った。アザラシに海中へ引きずり込まれる場面はスタジオのプールで、水中のダイバーが鎖を引っ張る方法で撮影されたという。リキを襲うシャチは、和歌山県のアドベンチャーワールドで飼育されていたシャチ「弁慶」が演じた。蔵原監督は、犬たちの感情は編集によって生み出したものだと語っている。
一方で、極寒の北極圏での長期撮影そのものが犬にとって過酷だったのではないかという指摘は根強い。アメリカの動物愛護団体アメリカン・ヒューメインは、本作に「No Animals Were Harmed(動物に危害は加えられていない)」の表示を認めず、評価を「容認できない(Unacceptable)」としたとされる。また、犬に襲われるアザラシなど獲物側の動物の死が演出だったのかどうかは、はっきりしていないとする見方もある。
どちらの立場をとるにせよ、現在の基準で同じ撮影を行うことは難しいというのが一般的な受け止め方で、本作は動物と映画撮影の関係を語るうえでしばしば引き合いに出される作品となっている。
実話との違い[編集]
映画はあくまで実話を「もとにした」フィクションで、史実とは異なる点が多い。
- 実際の第1次越冬隊は11人で、22頭の樺太犬を連れていった。撤収時に母犬シロ子と南極で生まれた子犬たちは連れ帰られ、残る15頭が鎖につながれたまま置き去りにされた。
- 1959年1月14日、第3次越冬隊のヘリコプターが上空から2頭の生存を確認した。生き残ったのがタロとジロで、7頭は首輪につながれたまま死んでおり、6頭は行方不明だった。
- 現実に第3次隊でタロとジロと再会できた元犬係は北村泰一ただ一人で、菊池徹は第3次隊には参加していない。映画の潮田と越智の2人による再会は脚色である。
- 菊池は撤収時、自分が犬とともに残ると申し出たと伝えられている。
- 犬たちの生存方法については、アザラシの糞やペンギンを食べたという説が当初広まったが、北村はこれに否定的で、基地周辺に残された人間用の食料やクジラの死骸などを食べていた可能性を挙げている。
- 1968年には昭和基地近くで1頭の遺体が見つかり、リキではないかとされている。
タロとジロのその後[編集]
ジロは南極に残って再びそり犬として働いたが、1960年7月9日に昭和基地で病死した。5歳だった。タロは帰国後、北海道大学の植物園で余生を送り、1970年8月11日に老衰で亡くなった。14歳7か月という、樺太犬としては長寿だった。
2頭はいずれも剥製となり、タロは北海道大学植物園、ジロは東京・上野の国立科学博物館に展示されている。国立科学博物館には忠犬ハチ公の剥製も展示されており、日本で最も有名な犬たちが同じ館に並ぶ格好だ。2006年の特別展では2頭の剥製がそろって公開された。
ゆかりの地には記念碑が点在する。犬ぞり訓練が行われた稚内公園には、ジロをモデルにした南極観測樺太犬記念碑(1960年除幕)と樺太犬供養塔(1961年建立)があり、毎年慰霊祭が開かれている。東京タワーの下にあった15頭の樺太犬像は、2013年に国立極地研究所(東京都立川市)へ移設された。名古屋港ガーデンふ頭にもタロとジロの像がある。
リメイク・関連作品[編集]
ディズニー版『南極物語』(2006年)[編集]
2006年には、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズがハリウッド版リメイク『Eight Below』を製作した。監督はフランク・マーシャル、主演はポール・ウォーカー。アメリカでは2006年2月17日、日本では邦題『南極物語』のまま同年3月18日にブエナ・ビスタ配給で公開された。上映時間は120分。製作費約4000万ドルに対し、全世界で約1億2000万ドルを稼ぐヒットとなった。
舞台は1993年の南極のアメリカ観測基地に移され、犬は15頭から8頭(マヤ、オールド・ジャック、ショーティ、デューイ、トルーマン、シャドウ、バック、マックス)に減らされた。作中で死ぬのは2頭で、残る6頭が生き延びるという、原作よりもずっと希望寄りの展開になっている。撮影はノルウェーのスヴァールバル諸島やグリーンランド、カナダのブリティッシュコロンビア州で行われた。エンドクレジットでは、2002年に亡くなった蔵原惟繕監督に作品が捧げられている。
TBSドラマ『南極大陸』(2011年)[編集]
2011年10月16日から12月18日まで、TBSの日曜劇場枠で放送された連続ドラマ。TBS開局60周年記念作品で、主演はSMAPの木村拓哉。木村は第1次越冬隊の副隊長で東京大学の助教授・倉持岳志を演じ、綾瀬はるか、堺雅人、柴田恭兵、香川照之、芦田愛菜らが共演した。原作は元犬係・北村泰一の著書『南極越冬隊 タロジロの真実』で、主題歌は中島みゆきの「荒野より」。南極のシーンは北海道根室市周辺で約2か月半かけて撮影され、樺太犬の代わりにニューファンドランド犬なども起用された。
初回視聴率は22.2%と好発進したが、その後は週を追うごとに下降した。同時期に放送された日本テレビの『家政婦のミタ』が社会現象級のヒットとなったこともあり、話題をさらわれる形になった。メディアでは「結末を誰もが知っている題材であること」や、『南極物語』の高倉健と比較されたことを不振の要因に挙げる声もあった。
フジテレビの映画とTBSのドラマは別会社の作品だが、同じ史実を題材にしている。両方に出演した俳優が渡瀬恒彦で、映画では犬係の越智、ドラマでは木村拓哉演じる主人公・倉持岳志の父親役を演じた。28年越しに同じ物語へ別の立場で戻ってきたことになる。
炎上とバズ[編集]
公開当時、フジテレビは自社の番組で連日のように本作を宣伝した。タロとジロ役の犬が『笑っていいとも!』に出演し、『オレたちひょうきん族』でも宣伝が行われるなど、グループを挙げたプロモーションは大ヒットの原動力となった。一方で、公共の電波を自社映画の宣伝に使うやり方には「電波の私物化」との批判も出たとされる。テレビ局が映画を作り、自局で宣伝して大ヒットさせる手法は、その後の『踊る大捜査線』シリーズなどにも受け継がれていく。
キャッチコピーの「どうして見捨てたのですか なぜ犬たちを連れて帰ってくれなかったのですか」は、観客の胸に刺さる強烈な一文として語り草になっている。
余談[編集]
- 1991年に採択された南極条約の環境保護議定書により、南極への犬の持ち込みは禁止された。そのため、南極で犬ぞりが活躍する光景は今では見られない。
- 撮影で使われたタロ・ジロ役の犬は、高倉が南極ロケで不在の間、渡瀬恒彦が東京の自宅で約2か月世話をしたとされ、のちに引き取ったという話も伝わる。
- 公開と同じ1983年、アニメ『さすがの猿飛』でパロディ回「肉丸南極物語」が放送され、ヴァンゲリスが新曲を提供したという話がある。
- フジテレビは本作の成功を受けて、『子猫物語』『ビルマの竪琴』など大作映画の製作を続けていった。
- 監督の蔵原惟繕は日活出身で、石原裕次郎主演作や浅丘ルリ子主演作を数多く手がけた職人監督。本作で一気に「日本一ヒット作を撮った監督」となった。
- 実写邦画の興行記録は、その後『踊る大捜査線 THE MOVIE 2』を経て、2025年の『国宝』へと塗り替えられている。
- 堺市の大浜公園には、15頭を供養するため1958年に建てられた樺太犬の像があり、生存が分かる前に作られたため、タロとジロも「慰霊」されている珍しい像だとされる。