| 勅使河原宏 Hiroshi Teshigahara | |
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![]() 勅使河原宏(右)と妻・小林トシ子(左)、1956年(出典:Wikimedia Commons、パブリックドメイン) | |
| 誕生日 | 1927年1月28日 |
| 死亡日 | 2001年4月14日 |
| 死亡年齢 | 74歳 |
| 出身地 | 東京府 |
| 国籍 | 日本 |
| 学歴 | 東京美術学校(現・東京芸術大学) |
| 職業 | 映画監督、芸術家 |
| 肩書 | 草月流三代目家元 |
| 活動期間 | 1953年 - 2001年 |
| 代表的な実績 | 映画『砂の女』『おとし穴』『利休』、いけばな草月流家元 |
| 受賞 | カンヌ国際映画祭審査員特別賞(『砂の女』)、アカデミー賞外国語映画賞・監督賞ノミネート(『砂の女』)、NHK新人監督賞(『おとし穴』)ほか |
概要[編集]
勅使河原宏(てしがわら ひろし、1927年1月28日 - 2001年4月14日)とは、日本の映画監督・芸術家で、いけばな草月流の三代目家元である。安部公房原作の『砂の女』でカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受け、アジア系として初めてアカデミー監督賞の候補になった。
詳細[編集]
映画、いけばな、陶芸、書、舞台美術、オペラ演出と多分野を縦横に行き来したマルチアーティストである。とりわけ安部公房原作の映画群で見せた、ドキュメンタリータッチとシュルレアリスムが同居する映像は世界的に評価が高く、ATG(日本アート・シアター・ギルド)が配給した最初の日本映画を撮った監督としても知られる。
草月流の御曹司として[編集]
いけばな草月流を創始した勅使河原蒼風の長男として東京に生まれる。暁星中学を経て東京美術学校に入学し、1950年に卒業した。在学中から岡本太郎やピカソら前衛芸術に傾倒し、安部公房や関根弘らの前衛サークル「世紀の会」に参加した。戦後は日本共産党に接近して山村工作隊にも加わるなど、芸術と政治の境界を大胆に行き来した青年期を送っている。
草月アートセンター[編集]
1958年から1971年まで、草月会館を拠点とする「草月アートセンター」の運営を担った。前衛音楽・実験映画・現代美術・アニメーションなどを紹介する場で、戦後日本の前衛芸術の発信地のひとつとなった。のちの生誕100周年プロジェクトも、この草月アートセンターの精神を受け継ぐことを掲げている。
映画監督への道[編集]
1953年に美術映画『北斎』の企画を持ち込まれたことを機に映画界へ進出した。亀井文夫や松竹の木下恵介に学び、同世代の映画人と「シネマ57」を結成して集団実験映画『東京1958』を制作した。1950年代には短編ドキュメンタリー『十二人の写真家』(1955年)、『いけばな』(1957年)、ボクサーを追った『ホゼー・トレス』(1959年)などを手がけている。
1962年、安部公房脚本の『おとし穴』で長編デビュー。同作はATGが配給した最初の日本映画となり、NHK新人監督賞を受けた。ATGはその後、寺山修司らの作品も送り出し、日本のアート系映画の受け皿となっていく。
安部公房との黄金コンビ[編集]
1964年、再び安部公房と組んだ『砂の女』は、砂丘の穴に囚われた男女を寓話的に描き、第17回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。音楽は盟友武満徹が担当し、砂の質感を生々しく捉えた映像と相まって国際的に絶賛された。カンヌ出品にあたっては、147分の監督版を124分に短縮している。
同作は第37回アカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされ、勅使河原自身もアカデミー監督賞の候補に挙がった。アジア系の監督が監督賞にノミネートされたのはこれが初めてである。続く『他人の顔』(1966年)、『燃えつきた地図』(1968年)とあわせ、安部・勅使河原・武満のトリオは日本の前衛映画を代表する仕事を残した。
1970年代:記録映画とテレビ[編集]
1970年には大阪府で開かれた日本万国博覧会のために短編『1日240時間』を制作した。1972年の『サマー・ソルジャー』では、翻訳家ジョン・ネイスンと組み、ベトナム戦争から脱走して日本社会の片隅で暮らすアメリカ兵を描いた。勅使河原は監督に加えて撮影・企画・製作も兼ねている。
テレビでは、勝新太郎を追ったドキュメンタリー『われらの主役』(1977年)を撮り、1978年には時代劇『新・座頭市』の2話(第25話「虹の旅」・第26話「夢の旅」)を監督した。1981年には現代美術家ジャン・ティンゲリーを撮った短編『動く彫刻 ジャン・ティンゲリー』、1984年にはスペインの建築家を追った長編記録映画『アントニー・ガウディー』を発表している。
家元就任と晩年[編集]
1980年、父・蒼風の死去を受けて草月流三代目家元に就任した。巨大な竹を使ったインスタレーションで前衛いけばなの新境地を開き、1983年には山形県酒田市の土門拳記念館に恒久設置作品を手がけた。竹の大規模個展は、ソウルの国立現代美術館(1989年)、ミラノ王宮(1995年)、ワシントンD.C.のケネディ・センター(1996年)でも開かれ、国内では丸亀市猪熊弦一郎現代美術館や広島市現代美術館でも展示された。1990年代には、複数の作り手が即興で花を生け継ぐ「連花」を考案している。
映画では『利休』(1989年)、『豪姫』(1992年)と千利休の周辺を描く時代劇に取り組んだ。『利休』では三國連太郎が千利休を、山崎努が豊臣秀吉を演じ、『豪姫』では宮沢りえが前田利家の娘・豪姫を、仲代達矢が利休の弟子で茶人の古田織部を演じた。茶の湯と草月流のいけばなという、自らの家元としての仕事と地続きの題材である。舞台ではオペラ『トゥーランドット』の演出(リヨン1992年、ジュネーヴ1996年)、野外劇『すさのお異伝』(1991年)、新作能『すさのお』(アヴィニョン、1994年)などを手がけ、陶芸家としても竹や器の作品を数多く残した。2001年4月14日、白血病のため東京で死去した。74歳。一周忌の2002年4月14日には、代表作をまとめたDVD-BOXが国内で発売された。
主な監督作品[編集]
- 『北斎』(1953年・短編記録映画)
- 『十二人の写真家』(1955年・短編記録映画)
- 『いけばな』(1957年・短編記録映画、脚本も担当)
- 『ホゼー・トレス』(1959年・短編記録映画)
- 『おとし穴』(1962年・長編デビュー作、原作・脚本:安部公房)
- 『砂の女』(1964年、原作・脚本:安部公房、音楽:武満徹、出演:岡田英次・岸田今日子)
- 『白い朝』(1965年・短編)
- 『ホゼー・トレス Part II』(1965年・短編記録映画)
- 『他人の顔』(1966年、原作・脚本:安部公房、出演:仲代達矢・京マチ子・平幹二朗)
- 『燃えつきた地図』(1968年、原作・脚本:安部公房、出演:勝新太郎・市原悦子)
- 『1日240時間』(1970年・日本万国博覧会向け短編)
- 『サマー・ソルジャー』(1972年)
- 『われらの主役』(1977年・テレビ)
- 『新・座頭市』第25話・第26話(1978年・テレビ)
- 『動く彫刻 ジャン・ティンゲリー』(1981年・短編記録映画)
- 『アントニー・ガウディー』(1984年)
- 『利休』(1989年、出演:三國連太郎・山崎努)
- 『豪姫』(1992年、出演:宮沢りえ・仲代達矢)
没後の再評価[編集]
没後20年の2021年6月5日から18日まで、渋谷の名画座シネマヴェーラ渋谷で特集上映「没後二十年記念 アートを越境する─ 勅使河原宏という天才」が開かれ、長編・短編・テレビ作品・舞台映像など25作品が上映された。上映後には作曲家の高橋悠治や映画監督の石井岳龍らを招いたトークも行われ、6月1日には配信番組「DOMMUNE」で特番「勅使河原宏 これが前衛だ」が組まれた。
2025年6月7日には、草月が生誕100周年プロジェクト「Hiroshi Teshigahara: Visionary Worlds|勅使河原宏の世界 生誕100周年」を始動した。長女の勅使河原霧が中心となり、2027年の生誕100年に向けて展覧会・上映・パフォーマンス・映像インスタレーション・トークを展開する計画で、開幕展「SA NI HA|さには」が東京・赤坂の草月会館1階「天国」で同年7月6日まで無料公開された。
余談[編集]
- 安部公房と組んだ長編4本(『おとし穴』『砂の女』『他人の顔』『燃えつきた地図』)は、いずれも安部自身が脚本を書き、音楽を武満徹が担当している。
- 『砂の女』の監督版は147分あり、カンヌ映画祭向けに124分へ短縮された。
- 家元としての竹のインスタレーションは、ソウル・ミラノ・ワシントンD.C.と、海外の美術館や王宮、劇場施設でも大規模に展示された。
- 2021年の特集上映では、NHK新人監督賞を受けた長編デビュー作『おとし穴』から晩年の舞台映像まで、ジャンルを越えた25本が一挙に上映された。
