チョコボール向井
Chocoball Mukai
本名 向山裕(むかいやま ゆたか)
誕生日 1966年12月15日
年齢 59歳
出身地 群馬県渋川市
国籍 日本
職業 タレント、実業家、元AV男優、元プロレスラー
活動期間 1990年 - 2007年(AV男優)、1999年 - 2006年(プロレス)
代表的な実績 元祖マッチョ系AV男優/WEW6人タッグ王座(3回)
別名 チョコボール向山

概要[編集]

チョコボール向井(チョコボール むかい、1966年12月15日 - )とは、群馬県渋川市出身の元AV男優・元プロレスラーで、現在はタレント・実業家として活動する人物である。本名は向山裕(むかいやま ゆたか)。1990年にAVデビューし、日焼けした筋肉質の体で「元祖マッチョ系AV男優」と呼ばれ、加藤鷹と並んでAV男優という職業を一般に知らしめた一人とされる。1999年からはFMWなどでプロレスラーとしても活動し、WEW6人タッグ王座を3度獲得した。2006年からはスナックを経営している。

詳細[編集]

新日本プロレス入門と挫折[編集]

群馬県渋川市で生まれ育ち、高校卒業後の1985年、プロレスラーを目指して上京し、新日本プロレスの道場に練習生として入門した。しかし入門からわずか1週間ほどで腰を痛め、練習を続けられずに道場を去っている。このとき断念したプロレスへの思いは、のちにAV男優として名前が売れたあとも消えず、30代でのプロレスデビューにつながっていく。

AVデビュー(1990年)[編集]

1990年1月、樹まり子主演『男優さん、いらっしゃい』(クリスタル映像)の素人男優オーディションに応募したのが業界入りのきっかけである。英語版Wikipediaでは「俳優のオーディションに応募したところ、実はAVの募集だった」と紹介されている。受験者の多くが緊張して本番に臨めなかった中、向井は堂々としていたことから採用され、そのままプロとしてデビューした。

当時のAV男優は中肉中背の体型が主流だったが、大柄で筋肉質、しかも全身が日焼けした向井の体は画面上でひときわ目立った。この見た目のインパクトが、のちの「マッチョ系男優」という一つの型をつくったとされる。

芸名の由来[編集]

芸名は、日焼けした体の色を森永製菓の菓子「チョコボール」にたとえたことに由来する。本名の向山(むかいやま)にちなみ、当初は「チョコボール向山」と名乗っていたが、長くて言いにくいという理由で「やま」が取れ、「チョコボール向井(むかい)」に落ち着いた。菓子の名前をそのまま芸名に入れたインパクトのある名前は、AVを見ない層にも名前を覚えられる一因になった。

トップ男優として[編集]

デビュー後は加藤鷹と並ぶトップ男優として活躍し、約17年間の出演本数は6,000本を超えるとされる。最も売れていた時期の年収は2,000万円以上に達したといわれ、英語版Wikipediaでは「最も稼いだAV男優の記録を持つ」と紹介されている。

向井の代名詞となったのが、女優を抱え上げたまま動く「駅弁」スタイルである。腕力と体力を必要とするこのスタイルは、筋肉質の向井だからこそ見せられるものとして、彼のイメージと強く結びついた。1999年には、AV業界を題材にした梶俊吾監督の一般映画『駅弁』に本人役で出演している。

1990年代の向井は、AV男優が雑誌やテレビで名前と顔を出して語られる存在になっていく流れの中心にいた。それまで「女優の引き立て役」として名前すら出ないことが多かった男優に、個人としての人気と知名度が生まれたのは、加藤鷹や向井の世代からだといわれる。

AV監督・レーベル「向井」[編集]

2001年からはAV監督としても活動を始め、ホットエンターテイメントに自身の名前を冠したレーベル「向井」を持った。ナンパもの、カップルもの、風俗ものなどの企画を手がけ、出演する側から作る側へと仕事の幅を広げた。弟子には「ミートボール吉野」がいる。師匠の「チョコボール」にならった芸名で、向井の存在が後進の男優にも影響を与えていたことがうかがえる。

プロレスラーとして(1999年 - 2006年)[編集]

1990年代後半、向井はプロレスへの再挑戦を表明し、FMW(フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング)の道場で中川浩二のもとトレーニングを積んだ。1999年9月、30代にしてFMWのリングで「チョコボール向井」としてデビューを果たす。

デビューから2か月後の1999年11月、FMW10周年記念大会でリッキー・フジ、フライングキッド市原と組み、空位だったWEW6人タッグ王座を獲得した。同年12月に王座を失ったが、2000年に入ると冬木弘道と行動をともにするようになり、5月28日に正式に「新・冬木軍」に加入。同日、冬木・井上京子とのトリオでWEW6人タッグ王座を奪還した。この王座は通算3度獲得している。

2001年1月に新・冬木軍が解散したあとは主に前座試合に出場し、2002年2月のFMW活動停止とともに同団体での活動を終えた。その後は冬木軍プロモーション、DDTプロレスリング、プロレスリングZERO1などのインディー団体に参戦したが、2004年以降は出場が散発的になった。

2005年12月18日には一夜限りで新日本プロレスのリングに上がり、永田裕志と対戦して敗れている。かつて練習生として挫折した団体のリングに、20年後に立った形である。2006年11月26日のバトラーツ大会で若手選手に勝利したのが最後の試合となり、同年12月にプロレスからの引退を表明した。

FMWと「新・冬木軍」[編集]

向井がデビューしたFMWは、1989年に大仁田厚が旗揚げした団体で、有刺鉄線や電流爆破を使ったデスマッチで知られた。大仁田の退団後の1990年代末から2000年代初めにかけては、ストーリー性を前面に出した「エンターテインメント路線」へとかじを切っており、AV男優として知名度のある向井の参戦もその流れの中で注目を集めた。

向井が加わった新・冬木軍は、冬木弘道を中心とするユニットで、女子プロレスラーの井上京子も所属するなど男女混成の顔ぶれが特徴だった。向井はこのユニットで王座戦線に絡み、プロレスラーとしての全盛期を過ごした。リーダーの冬木は2003年に死去している。

スナック経営と引退後[編集]

2006年、東京・新宿二丁目にスナックバー「CHOCOBALL FAMILY(チョコボールファミリー)」を開業し、自ら店に立った。2007年いっぱいでAV男優業からも引退し、以後はタレント・実業家として活動している。

2017年には店の開店準備中に体調を崩して入院したが、同年末に退院した。2019年の『日刊ゲンダイ』のインタビューでは、退院から1か月ほどで幡ヶ谷で店を再開したこと、以前のように欲張らず健康第一でのんびり過ごしていることを語っている。

主な出演・メディア[編集]

  • 『男優さん、いらっしゃい』(1990年、クリスタル映像)- AVデビュー作。主演は樹まり子。
  • 映画『駅弁』(1999年、梶俊吾監督)- 本人役で出演。AV業界を題材にした一般映画。
  • 『SPA!』2008年4月10日号 - 体づくりをテーマにしたインタビューに登場。
  • 『日刊ゲンダイ』連載「独白 愉快な“病人”たち」(2019年4月)- 近況と闘病後の生活を語ったインタビュー。

プロレスの獲得タイトル[編集]

時期 王座 パートナー
1999年11月 WEW6人タッグ王座(1回目) リッキー・フジ、フライングキッド市原
2000年5月28日 WEW6人タッグ王座(2回目) 冬木弘道、井上京子
2000年 WEW6人タッグ王座(3回目) 冬木弘道、井上京子

余談[編集]

  • 新日本プロレスには1985年に練習生として入門し、腰の故障で1週間ほどで退団した。それから20年後の2005年、一夜限りながら同団体のリングで永田裕志と対戦した。
  • 菓子の名前を芸名に入れたことで、弟子の「ミートボール吉野」のように食べ物系の芸名を名乗る後輩も生まれた。
  • 英語版Wikipediaにも「Chocoball Mukai」の名で項目があり、ドイツ語版・ウェールズ語版など複数の言語版にも記事が立っている。プロレスラー兼AV男優という珍しい経歴は、海外のプロレスファンの間でも知られている。
  • プロレスのリングネームもAVと同じ「チョコボール向井」で、リングでも日焼けした筋肉質の体がトレードマークだった。
  • 同時代のAV男優には山本竜二、吉村卓、田淵正浩、沢木和也らがおり、村西とおる監督の作品群とともに1990年代のAVブームを形づくった。
  • AV男優のドキュメンタリーや業界の歴史を扱う記事では、加藤鷹と向井の名前が「男優が名前で売れるようになった時代」の象徴として挙げられることが多い。

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